【松居慶子】4年ぶりのアルバム『EUPHORIA』が出来上がるまで
6月末に30作目となるアルバム『EUPHORIA』を国内リリースした、ピアニストの松居慶子さん。7月頭にかけてはジャパンツアーも行いました。パンデミックの時期を曲作りに費やし、またスタジオに集まれる喜びとともにレコーディングされたこのアルバムは、これまで以上にピアノのメロディーが印象的なだけでなく、多彩なゲスト・ミュージシャンの熱演も大きな聴きどころとなっています。久々の日本ツアーを終えられたばかりの松居さんに、アルバムのこと、コロナ禍の中での過ごし方のこと、そしてその中での創作活動についてお聞きしました!
「パンデミックの間、約1年半にわたって曲作りに専念しました」
──ニューアルバムのタイトル『EUPHORIA』ですが、日本ではそれほど馴染みのない単語というか概念という気がするんですが。
松居 読みにくいですよね。アメリカでも、それほどみんなが知ってる言葉というわけでもないんですが、私のファンは「まさにピッタリだよね、KEIKOのアルバムに」と言ってくれます。この言葉はたまたま自分が演奏する全てのパートのレコーディングが終わって、弦楽器の録音の為にスタジオにいた時、思いついたんです。それで辞書を引いたら「多幸感」とあって、本当にピッタリだと思ってつけました。
──同名の楽曲が終盤に収録されていますよね。その曲のタイトルとして思いついて、アルバム・タイトルにもしたという感じなんですか?
松居 そうです。初めてあのメロディが聞こえてきた時、もちろんその段階ではタイトルは無いですが、「これは絶対アルバムのタイトル曲になるな」と思ったんです。自分にとってはジャズ・シンフォニーみたいなイメージで、タイトル曲だと。そして弦楽器の録音中に「『EUPHORIA』がこの曲にピッタリだ」と思って。
──アルバム・タイトルのつけ方って、毎回そんな感じなんですか?
松居 いえ、そうでもないです。『Echo』の時は、マーカス・ミラーのベース・ソロを聴いた時に「あ、これがタイトル曲だ!」と。でも言葉は後から来ました。『Journey To The Heart』の時は全曲のタイトルをつけた後に、タイトル曲としてこの曲を選んだという形でした。
──コロナ禍を抜けての最初のアルバムということになりますが、先日、BLUE NOTE TOKYOで行われたライブのMCでも、今回のアルバム製作にはコロナ禍の影響が大きいというお話をされていましたね。
松居 そうですね。やはりツアーに出られないということで、ミュージシャンだけでなく音響さん、照明さんなど、スタッフも含めてみんなが仕事を失って、大変辛い時期だったわけで。その間にもミュージシャンで亡くなった方もいました。
私は家族も含め、ラッキーなことに感染もせず健康でいられたのでありがたいなと思っていました。そういう時期を乗り越えて、みんなでまたスタジオで会えた!同じ空間で一緒にレコーディングができた!という喜びがいっぱいアルバムには詰まってます。パンデミック中に、オンライン、リモートでアルバムを仕上げたアーティストも山のようにいます。でも、私はみんなで会える日を待ちたいと思って、2020年の夏から去年の春ごろまで、約1年半ほど曲を書き溜めて素材を集めていたという感じです。
──それほど長い期間、曲作りのみに専念できるというのもなかなかないことなのでは?
松居 そうなんです。私はそれまで、コンサートツアーで旅が多く、同じ枕で1週間以上寝たことがなかったという様な生活でしたから(笑)。それに気付いたのもパンデミック中ですし、自分がアメリカで住んでいるコンドミニアムが夏場にこんなに暑くなるということも知らなかったんですね。夏場は居ないことが多かったので。
そして日本に長期滞在する時間も取れました。母とこんなに一緒の時間を過ごしたことは、子供時代を除くと無かったので貴重な時間でした。
2020年、パンデミックの始まりあたりは、日本と行き来するのもそんなに厳しくなかったんですよ。だから私は、3ヵ月は日本にいて、マーカス・ミラーとのストリーミングライブショーの収録の為にアメリカに戻るとか、日本のブルーノート公演やお正月を過ごす為に帰ってくるなど、行ったり来たり。その間に親孝行もできて、私にとっては神様からいただいた貴重なお休みだったなと。
今までいかに睡眠時間を取ってなかったか、いかに激しい旅をしていたかということが分かって。そういう中でいろいろと考えさせられました。コロナの問題だけでなく、21世紀になっても人間はいろいろな問題を繰り返しているという悲しい現実から情けなく感じたり、命の儚さを感じたり。でもそれを乗り越えて私たちは生きてるわけじゃないですか。辛い現実があっても諦めずに乗り越えて生きている私たち。次に進もうとしている逞しさってすごいなと思ったり。そういういろいろな想いがこのアルバムに詰まっています。
──世界中で、今まで当たり前だと思っていたこと、特に気にしていなかったことの中に、いかに大事なことがあるかというのを気付かされた期間でもありましたよね。
松居 そうですね。働き過ぎという部分もあっただろうし、ペースが速すぎるのもあっただろうし。だからスローライフということが言われたりもして、生活の基本になるべきことって何だろうだとか考えさせられる期間でしたね。
家族でも会えない、会っちゃいけないと思わされる時期があったり、ある意味、人間が試されているような感じもしましたね。睡眠時間の大切さも意識しましたけど、仕事よりも家族とか親しい人との時間を大事にしながら、マイペースで生きるのが大事だなと。コンサートでも少しお話したんですが、これからはみんなそれぞれが、既成概念にとらわれず、思い思いに生きていけばいいんじゃないかと思うんですよね。それこそ畑を始めた人もいるわけだし、毎日会社に通わずに仕事ができるリモートワークも認められて、それぞれの価値観もきっと変わってきたと思うんです。みんな幸せになるために生まれてきてるはずだから、それぞれが自分の幸せを追求して、でもその中で思いやりを持っていけば、この世界はもっといい方向に向かうんじゃないかと。そんな気持ちもアルバムの背景にあります。
──パンデミックの中では多くの人が集まることができなくなり、日本ではライブハウスが特に槍玉に上げられました。一時は「そんなに悪く言われなきゃいけないのか」というほどで。
松居 やっぱりちょっと、みんなのメンタルが追い詰められていたかも?ミュージシャンの間では「日本はいつになったら外国人を入れてくれるんだ?」という話になってました。
私は、去年の5月にはヨーロッパのクルーズ船でのコンサートを始めていました。二週間無事に終えられたと思ったら、下船直前の検査で陽性が出ちゃって、アムステルダムで5日間自主隔離。その後アメリカに帰る為に空港に行くと、私よりも具合の悪そうな人がそこら中にいる状況でした。ヨーロッパは既にスタジアム級の会場でのコンサートを満員の観客を入れて行ってましたからね。
──この間、「歩みを止めたくない」という理由で、オンラインやリモートでの制作をしていたアーティストの方も多くいらっしゃいました。その中で松居さんは、そうでない道を選んだんですね。
松居 実は、最初数ヵ月は自分のリビングルームから、インスタライブとかFacebookライブをやってみたんです。ソロで演奏して、ちょっと話をしてという感じで。それ以降は、曲作りを始めたので続けませんでした。オンラインライブが新しい活躍の場となったのは、パンデミック期間、ミュージッシャンにとってもライブを観られない音楽ファンにとっても良かったですね。投げ銭制で自分の音楽を届けながら、新たな収入源としているミュージシャンもいました。
──今は、ライブでも同時に配信される形式が当たり前のように受け入れられていますからね。
松居 そうですね。でも私にとっては、ライブはやはり同じ空間で音が振動して、演奏者とリスナーの感情が溢れ出るような感覚を分かち合ってこそだと思っているので、そこはやっぱり配信では伝わらないものがあると思うんですよね。そういう場は無くしてほしくないなと思います。
さまざまなアーティストと、それぞれに異なる制作方法でできたフィーチャリング曲の数々
──さて、今回のアルバムの収録曲には、自然からインスパイアされてできた曲も多いと伺いました。
松居 そうですね。このアルバムが30枚目で、収録曲も300曲を超えているんですが、ある時は海だったり、星だったり森だったり、自然からインスパイアされてできた曲は多いです。今回が特に多いというわけではないです。
何が聞こえてきたかというのを書き留めて、それを最終的に12曲に絞っているんですが、今回は明るいバラードが4曲も入りました。これは過去最多です。
──あ、そうなんですね。
松居 共同プロデューサーでマネージャーのバド・ハーナーが「全部入れちゃえばいいよ」って言うので(笑)
結果的には全部入れてよかったなと思います。今回のアルバムはすごく明るいエネルギーが詰まっていると自分でも思いますね。
──それは先ほど言われていたような、パンデミックから明けてまた集まれる、旅にも出られるということが影響したんでしょうか?
松居 いや、最終的に仕上げていく過程ではそういうことも感じましたけど、元は曲なので、そういうモチーフが届いてきたというのは、自分が“次のステージ”からキャッチしたんだと思います。曲を集めている時は作曲家としての目線で居て、最初は100曲ぐらいあった候補から40にして、20にして、最終的に12曲にしました。その何段階かが1年半の間にあったんですけど、絞り込んでから作り上げていく時にはプロデューサーの視点も持ちつつ仕上げていきます。
実際、ミュージシャンを選んでスタジオに入って弾く時点では、曲に導かれているというか、私も含めて参加ミュージシャン全員が、曲に生かされ、インスパイアされてあの演奏が収録されたという感じです。
──フィーチャリング名義の曲が4曲ありますよね。それは単独名義の曲と制作過程が異なるものだったんでしょうか?
松居 いいえ、全曲まず基本のトラックを仕上げます。その中で、ゲストを迎えたい曲については、ゲストがソロを演奏する空間を残しておいたりします。
今回は3つのリズムセクションを組みました。例えば、グルーブ中心の5曲はグレッグ・ビゾネットというデヴィッド・リー・ロス・バンドにいたドラマーと、アレックス・アルというベーシスト、基本のギターパートにはトニー・ポリッツイ、そしてパーカッションは全編ルイス・コンテ。「THE CHOICE」は「ゲストギタリストを入れよう」と思い、マイク・スターンという少し違うジャンルのアーティストに決定。
ボーカル曲の「LOVE AND NOTHING LESS (featuring Lalah Hathaway & Grégoire Maret)」はAメロが聞こえてきた時に「これはレイラしかない」と思って、彼女には聞かずに曲全体を仕上げて、その上でレイラに声をかけたら「Beautiful!」と詞も書いて歌うことを快諾してくれました。曲のイメージを聞かれたので、曲の背景の想いをメールで説明し、最終的に彼女なりに解釈したものをあのような深くて美しい詞にしてくれました。
そして「レイラが歌うこの曲には絶対グレゴア・マレットのハーモニカ!」と閃いて、彼にも参加を依頼。
「NEO (featuring Randy Brecker)」については、『Echo』のリリースの後に、ランディ・ブレッカーにニューヨークのソニーホールでのコンサートに入ってもらったんですね。そのライブの時に、「この次はアルバムで吹いてもらいたいな」と思っていて、「NEO」はピッタリだと思ったのでランディに入ってもらいました。「LUMINESCENCE (featuring Kirk Whalum)」のカーク・ウェイラムは、親友と言えるアーティストで、コラボレーションのショーを最近まで一緒にしていて、彼にもこのアルバムに入ってもらおうと思って声をかけました。
「EUPHORIA (featuring Joel Ross)」のジョエル・ロスは、BLUE NOTE TOKYOの友人から「彼は最近活躍している若手アーティスト」と教わり
聴いてみて「いいな」と思ったので参加してもらいました。
──「THE CHOICE」のマイク・スターンさんをはじめとして、ゲストらしく弾きまくり、吹きまくりですよね。そのプレイに関してはお任せだったんですか?
松居 それも曲によって違いますね。「THE CHOICE」は、マイクに「このメロディと、ここのソロ・セクションと、最後のフェードアウトの部分は私のピアノと対話になるように」とお願いしたんですね。レコーディング直前に電話で再確認の際、「中間部のソロ、8小節しかないの?」と言われたので、「ここは短いけど、最後の対話の部分でどうぞたくさんとって!」と私。そういう割合も全て指定しています。ランディ・ブレッカーはフィーチャリングで入ってもらうと決めていて、私のピアノに全部合わせるんじゃなくて、彼らしさを出してほしかったんです。「トランペットよりフリューゲルホーンの方がいいと思うよ」と言うので、「じゃあそれでやってみて」ということで。彼の演奏は時にメロディアス、
時にロマンチック、時にアグレッシブで、本当に引き出しがいっぱいあるんですよね。基本のトラックで演奏している私たちは私たちで、フェードアウトになるはずが止まれなくなって、ウワーッと一気に録ったんですよ。そのトラックは全部生かして、ランディに「私との対話にしてね」とお願いしたら素晴らしい対話を作ってくれて。それも、5トラックぐらい録ってくれたんですよ。こちらが選択に困るぐらい。その中で「どれを使ってくれてもいいけど、自分としてはこれだと思う」というのが1つあって、それを聴いたらやっぱりそれが私にとっても一番でした。
──他のトラックも捨てがたいほどのものだったのでは?
松居 そうでしたね。でも、捨てるのもプロデューサーとしては大事なんですよ。よく録れていても、ミックスの過程で「これはいらないな」と思って削ったりとかはしますから。
──先ほども出た「LOVE AND NOTHING LESS (featuring Lalah Hathaway & Grégoire Maret)」は、唯一のボーカル曲でもありますし、アルバムの中でもすごくアクセントになっていますよね。ただ、1曲目の「STEPS ON THE GLOBE」でも顕著ですが、松居さんの弾くメロディは「実は歌詞がある」と言われても信じてしまうぐらいメロディアスなものが多いですよね。その中でも「LOVE AND NOTHING LESS」の場合は「ボーカルありしかない」と思えるものだったわけですか。
松居 「はい。今回のアルバムはボーカル曲を入れてもいいなとは思っていた中、この曲が届いてきました。
この曲は下の音域がとても低くて、しかも全部のメロディで2オクターブぐらいの幅があるんです。私は、基本に、人の心に残るようなメロディを書きたいという気持ちがあって、だいたい1オクターブ以内で口ずさめるようなものがいいと思ってるんですね。でもこの曲は2オクターブある。そこでレイラの音域をチェックして2オクターブは大丈夫と自信を持って仕上げました。彼女も、キーもこのままで大丈夫!と。彼女のレコーディング作業は素晴らしかったです。「メインパートでこの部分を歌って、ここは違う女の子たちに歌わせるから」って、頭の中で組み立てが全部できてるんですよ。
──それはコーラス隊というようなことですか?
松居 いやいや、それも全部彼女なんです。あの曲のコーラス・セクションは全部彼女が歌ってます。メインパートを歌った後に「じゃあ、今度はKEIKOのオリジナル・アイデアの1オクターブ下も重ねるから」と。そして「違う子たちに」というコーラスパートはちょっとエンジェリックな声で歌ったり、ボーカルの重ね方を全て見事にプランしてきてくれていました。
彼女は声の深みと温かさもとても魅力的なシンガーですよね。彼女がスタジオに入ってきて開口一番、「この曲は素晴らしいから、絶対みんなカバーするよ」って言うんです。「ダイアン・リーヴスとかアニタ・ベイカーとか、絶対みんなカバーするよ」って。「それは嬉しいけど、これはあなたのために書いたのよ」って言ったら、「その日、たまたまKEIKOのアルゴリズムが私に合ったんだわ! ありがとう、神様!」とレイラ。
──しかし、ボーカル曲が入るのは珍しいですよね?
松居 過去にはけっこうあるんですよ。1枚目のアルバムにも入っているし、カーラ・ボノフやフィリップ・ベイリーが歌っている曲もあります。過去30枚の中の7−8枚に含まれていたと思います。ただ、最近はインスト中心でした。
──ボーカルを入れたい曲が来れば、ということなんですね。
松居 そうです。今回の「LOVE AND NOTHING LESS」はメロディがしっかりあるので、バンド・メンバーから「インストでも演奏するのは?」と提案されたんですけど、私はやっぱり最初にこの曲をやる時はレイラと!と思うので。マネージャーは「代わりの歌手を立ててやれば?」って言ってくれたんですけど、「NO、初演はレイラしかない」と(笑)。そこは譲れなかったですね。レイラは今、ヒップホップのアーティストやロバート・グラスパーのコンサートにゲスト出演するなど忙しいですが、「可能性を見つけて近いうちに一緒に」という話はしています。
「今は『EUPHORIA』の曲をたくさんの人に届けたい!」
──松居さんご自身が、この12曲の中でアルバムを象徴すると思われている曲というのは?
松居 やっぱり「EUPHORIA」ですね。世界観やメッセージ性があって、アルバム全体を象徴しているというのではないんですが、今の時代に捧げる曲という感じですね。ただ、他の曲も全部、大事な子供たちなので、どれか一つというのは言えないです(笑)。
──そうでしょうね。
松居 「ROSSO CANTABILE」というタンゴっぽい曲は、パンデミック中にYouTubeでショパン・コンクールの映像を見ていて、インスパイアされて聞こえてきたメロディです。私はクラシック的な要素も好きなので「今回はそのジャンルも書いてみたいな」と思ってたら届いてきました。フラットいっぱいのAフラットマイナーというキーで。メインテーマがアメリカで完成した後、日本にいる時に近所を歩いていたらあのベースパターンが降りてきて。「あ、これとアレは合う!」と。そこに弦のパートもやってきたんですね。そんな風にアレンジのアイデアも一緒に来ることはありますね。色々な場所でひらめきがありました。
──アイデアが浮かんだ時は、スマホに録音されたりするんですか?
松居 今は便利なので、そういうのも使ってますよ。五線譜に書くことは多いですが、たまに外出中にメロディが浮かんできてその場で歌って録音。
後で聴いたら何を歌ってるのか全然分からない時とかもあって(笑)。
夢でメロディが降りてきて、起きてても覚えていたらいいサイン!と書き留めることもありますね。
──まさにいつやってくるか分からないんですね。
松居 本当にそうです。アルバムのために曲を作る期間になると、最初は自分にプレッシャーをかけすぎるんですね。「曲が降りてこなかったらどうしよう……」と。
以前、音楽関係者に、「天才のスティービー・ワンダーでも他のレジェンドでも、ある時期を過ぎたらオリジナルを書かなくなるんだよ」って言われたことがあるんです。「みんな、作れなくなるんだと思う」と。
全く気にはしてなかったんですけど、今回30枚目のアルバムを作るにあたって、それを思い出しちゃったんですね。「曲が来なかったらどうしよう」と。ひねり出して作っているわけではなくて、降りてくるかどうかが全てなので。
プレッシャーをかけすぎてちょっと凹んでいた時に、今度は別の自分が「何を甘ったれたことを言ってるんだ! レコード契約だってあるし予算も用意されている。先のコンサートも決まってるし、ファンからは『早くKEIKOの新しいメロディ、アルバムが聴きたい』と言われているのに」と。ファンの言葉を聞いた時に「NEW PASSAGE」という曲が聞こえてきたんですよ。「みんな待ってくれていて、先のコンサートも決まってるというような状況で、200%何をやってもいいという真っ白なキャンバスがある環境にあって、何を言っとるか!」と自分に喝を入れると、「そうだ!」とスイッチが切り替わる瞬間が来ます。そこから頭が「受付中」になって、聞こえ始めるんです。ただ、ピアノの前で自由に即興演奏をやって、そこから曲に……というのは一切やめてるんですね。
──そうなんですか。一般的にはそういうことも多いのかなというイメージですが。
松居 そうすると、手癖や気分で作れてしまうので。うちのバンドメンバーは、「KEIKO、みんなでスタジオに入って一緒にやれば、曲なんてすぐできるよ!」って言うんですけど、ダメ!と。それでも曲ができるのは分かるんですけど、私はメロディを受け取る時は一人で沈黙の中に居たいので。
今回はかなり長い間「受付中」をやって、いっぱい候補を抱えたまま日米を行ったり来たりしながら、五線譜に書き溜めました。それと同時に、タイトル用のノートを用意して、タイトル候補の言葉も集めていました。
──その作業を30枚分続けてこられたんですね。
松居 そうですね、「30枚もよくやるな」って自分でも思いました(笑)。でも、これがベストと思えるぐらい自分で納得いくものができたし、ファンの方もとても喜んでくださっているので幸せな結果です。
──実際、リリース以降アメリカではいいチャートアクションを記録していますよね。
松居 はい。ビルボードのオールミュージック・チャートとiTunesジャズチャートで1位になった他、アメリカのAmazonの新譜のランキングで1位になったりと幸先のいいスタートを切りました。それから、多くのメディアのアルバム・レビューで取り上げられました。辛口評で有名なメディアが絶賛してくれたりイギリスやアメリカのラジオで発売日よりも前にワールドプレミアとして何曲もオンエアされたり、嬉しい現象が起きてました。過去に3枚、1位になったアルバムがあるので、今回も1位になりたいと思いましたね。このアルバムも発売と同時に1位獲得。
これはどれだけ発売を待ってくれていた方があったかということでもあるので、ファンのサポートに感謝です。チャートに入ることだけが重要では無いですが、目につくことで、私の音楽を知らなかった方にも届くきっかけになり嬉しいです。
──前回もお聞きしましたが、これからトライしてみたいことというと?
松居 今は、この『EUPHORIA』を連れて、できる限りライブをやりたいですね。その他には、オーケストラとのコンサートをまだ日本に届けられていないのでやってみたいですね。チャリティー活動として去年はパラグアイに行きました。そこで聞いた神話・伝説の印象から「LEGEND OF YAGUARÓN」という曲は生まれています。
次の活動の地としてアルゼンチンとブラジルが候補になっています。自分が健康で音楽と旅ができる事に感謝しつつ恩返しができたらいいなと思い、スタートしたチャリティ活動は今後も続けていきます。南米に向けての活動は、NGO「GOROM」の方が、私の音楽を届けることで、貧しい地域の人々や大変な生活を強いられている子供たちが希望や愛を感じ、明るい未来に向けての勇気が湧いてくると信じて下さって実現しています。
あとは……過去にも機会はありましたが、映画音楽ももっと手がけていきたいですね。
──前回のインタビューでも、オーケストラのお話はされていましたよね。その際はあと一つ、共演したい人物の名前を挙げられていたんですが……。
松居 スティングですか? ずっと言っていればだいたい叶うと言われますが、スティングは実現しないですね(笑)。
──この先、どんな巡り合わせがあるか分からないですからね(笑)。
松居 そうですね。まあコラボレーションは新鮮なものが出せる反面、自分の音楽を集中して届ける時間が限られるという側面もあって。
今は『EUPHORIA』をもっともっと届けたいという気持ちが一番ですね。
今回、コンサートのプログラムに9曲も新譜から追加したのは初めてなんですよ。今までは入れても5曲ぐらいでしたが、今回はどれも弾きたくて。
ただファンの方が慣れ親しんだものも含めたいので、4曲は過去のアルバムから
入れました。まだまだ生まれたばかりのアルバムなので、これに当分は命を懸けて。(笑)
本当は「このアルバムができたらしばらく休みたい」と思っていた私でした。
そして、今回のアルバムジャケットには顔を出したくない」って言ってたんです。音楽が表現しているからそれで充分と。マネージャーは「そんなこと言わないで、ファンは喜ぶから」と。それなら写真家と話をしたいということで、撮影の数週間前にミーティングをしました。アルバムも聴いてもらった上で、このアルバムのエネルギーや背景にある私の気持ちなども説明したら、写真だけではなく、アートと組み合わせたデザインを仕上げてくれました。そうやって納得いく形で出来上がると、「ああ、やっぱりこれを届けに行かなくては!」というエネルギーが湧き上がってきて、今は新たな気持ちでツアーしています。
──また忙しい日々が戻ってきますね。
松居 7月はデトロイトでのコンサート。その後8月はフェスや毎年欠かさずに行く北カリフォルニアやシアトルでのショー。秋もかなり過密スケジュールが続いています。その後、パンデミックで3年も延期されていたマヨルカ島のフェスに出演します。
旅慣れてはいるものの、パンデミックで長い間ツアーに出ない日々が続いた後は、荷造りも、空港のセキュリティを通るのも面倒になってしまって。。。(笑)
──分かります(笑)。
松居 きっともうすぐそんな事も気にならないほど元のモードに戻るかもしれませんね。(笑)コンサートが続く方が、元気かもしれないです。
今回の日本ツアーもそうですが、お客さまの笑顔からリチャージできるので幸せです。
──多忙な中、お体にもお気をつけてください。ありがとうございました!
松居慶子
『EUPHORIA』
2023.06.28 Release
【松居慶子 Official Website】
http://www.keikomatsui.com/
【松居慶子 公式サイト(日本)】
https://avex.jp/keikomatsui/
【Facebook】
https://www.facebook.com/keikomatsuijazz
【Instagram】
https://www.instagram.com/keikomatsuijazz/
【Twitter】
https://twitter.com/keikomatsui
「パンデミックの間、約1年半にわたって曲作りに専念しました」
──ニューアルバムのタイトル『EUPHORIA』ですが、日本ではそれほど馴染みのない単語というか概念という気がするんですが。
松居 読みにくいですよね。アメリカでも、それほどみんなが知ってる言葉というわけでもないんですが、私のファンは「まさにピッタリだよね、KEIKOのアルバムに」と言ってくれます。この言葉はたまたま自分が演奏する全てのパートのレコーディングが終わって、弦楽器の録音の為にスタジオにいた時、思いついたんです。それで辞書を引いたら「多幸感」とあって、本当にピッタリだと思ってつけました。
──同名の楽曲が終盤に収録されていますよね。その曲のタイトルとして思いついて、アルバム・タイトルにもしたという感じなんですか?
松居 そうです。初めてあのメロディが聞こえてきた時、もちろんその段階ではタイトルは無いですが、「これは絶対アルバムのタイトル曲になるな」と思ったんです。自分にとってはジャズ・シンフォニーみたいなイメージで、タイトル曲だと。そして弦楽器の録音中に「『EUPHORIA』がこの曲にピッタリだ」と思って。
──アルバム・タイトルのつけ方って、毎回そんな感じなんですか?
松居 いえ、そうでもないです。『Echo』の時は、マーカス・ミラーのベース・ソロを聴いた時に「あ、これがタイトル曲だ!」と。でも言葉は後から来ました。『Journey To The Heart』の時は全曲のタイトルをつけた後に、タイトル曲としてこの曲を選んだという形でした。
──コロナ禍を抜けての最初のアルバムということになりますが、先日、BLUE NOTE TOKYOで行われたライブのMCでも、今回のアルバム製作にはコロナ禍の影響が大きいというお話をされていましたね。
松居 そうですね。やはりツアーに出られないということで、ミュージシャンだけでなく音響さん、照明さんなど、スタッフも含めてみんなが仕事を失って、大変辛い時期だったわけで。その間にもミュージシャンで亡くなった方もいました。
私は家族も含め、ラッキーなことに感染もせず健康でいられたのでありがたいなと思っていました。そういう時期を乗り越えて、みんなでまたスタジオで会えた!同じ空間で一緒にレコーディングができた!という喜びがいっぱいアルバムには詰まってます。パンデミック中に、オンライン、リモートでアルバムを仕上げたアーティストも山のようにいます。でも、私はみんなで会える日を待ちたいと思って、2020年の夏から去年の春ごろまで、約1年半ほど曲を書き溜めて素材を集めていたという感じです。
──それほど長い期間、曲作りのみに専念できるというのもなかなかないことなのでは?
松居 そうなんです。私はそれまで、コンサートツアーで旅が多く、同じ枕で1週間以上寝たことがなかったという様な生活でしたから(笑)。それに気付いたのもパンデミック中ですし、自分がアメリカで住んでいるコンドミニアムが夏場にこんなに暑くなるということも知らなかったんですね。夏場は居ないことが多かったので。
そして日本に長期滞在する時間も取れました。母とこんなに一緒の時間を過ごしたことは、子供時代を除くと無かったので貴重な時間でした。
2020年、パンデミックの始まりあたりは、日本と行き来するのもそんなに厳しくなかったんですよ。だから私は、3ヵ月は日本にいて、マーカス・ミラーとのストリーミングライブショーの収録の為にアメリカに戻るとか、日本のブルーノート公演やお正月を過ごす為に帰ってくるなど、行ったり来たり。その間に親孝行もできて、私にとっては神様からいただいた貴重なお休みだったなと。
今までいかに睡眠時間を取ってなかったか、いかに激しい旅をしていたかということが分かって。そういう中でいろいろと考えさせられました。コロナの問題だけでなく、21世紀になっても人間はいろいろな問題を繰り返しているという悲しい現実から情けなく感じたり、命の儚さを感じたり。でもそれを乗り越えて私たちは生きてるわけじゃないですか。辛い現実があっても諦めずに乗り越えて生きている私たち。次に進もうとしている逞しさってすごいなと思ったり。そういういろいろな想いがこのアルバムに詰まっています。
──世界中で、今まで当たり前だと思っていたこと、特に気にしていなかったことの中に、いかに大事なことがあるかというのを気付かされた期間でもありましたよね。
松居 そうですね。働き過ぎという部分もあっただろうし、ペースが速すぎるのもあっただろうし。だからスローライフということが言われたりもして、生活の基本になるべきことって何だろうだとか考えさせられる期間でしたね。
家族でも会えない、会っちゃいけないと思わされる時期があったり、ある意味、人間が試されているような感じもしましたね。睡眠時間の大切さも意識しましたけど、仕事よりも家族とか親しい人との時間を大事にしながら、マイペースで生きるのが大事だなと。コンサートでも少しお話したんですが、これからはみんなそれぞれが、既成概念にとらわれず、思い思いに生きていけばいいんじゃないかと思うんですよね。それこそ畑を始めた人もいるわけだし、毎日会社に通わずに仕事ができるリモートワークも認められて、それぞれの価値観もきっと変わってきたと思うんです。みんな幸せになるために生まれてきてるはずだから、それぞれが自分の幸せを追求して、でもその中で思いやりを持っていけば、この世界はもっといい方向に向かうんじゃないかと。そんな気持ちもアルバムの背景にあります。
──パンデミックの中では多くの人が集まることができなくなり、日本ではライブハウスが特に槍玉に上げられました。一時は「そんなに悪く言われなきゃいけないのか」というほどで。
松居 やっぱりちょっと、みんなのメンタルが追い詰められていたかも?ミュージシャンの間では「日本はいつになったら外国人を入れてくれるんだ?」という話になってました。
私は、去年の5月にはヨーロッパのクルーズ船でのコンサートを始めていました。二週間無事に終えられたと思ったら、下船直前の検査で陽性が出ちゃって、アムステルダムで5日間自主隔離。その後アメリカに帰る為に空港に行くと、私よりも具合の悪そうな人がそこら中にいる状況でした。ヨーロッパは既にスタジアム級の会場でのコンサートを満員の観客を入れて行ってましたからね。
──この間、「歩みを止めたくない」という理由で、オンラインやリモートでの制作をしていたアーティストの方も多くいらっしゃいました。その中で松居さんは、そうでない道を選んだんですね。
松居 実は、最初数ヵ月は自分のリビングルームから、インスタライブとかFacebookライブをやってみたんです。ソロで演奏して、ちょっと話をしてという感じで。それ以降は、曲作りを始めたので続けませんでした。オンラインライブが新しい活躍の場となったのは、パンデミック期間、ミュージッシャンにとってもライブを観られない音楽ファンにとっても良かったですね。投げ銭制で自分の音楽を届けながら、新たな収入源としているミュージシャンもいました。
──今は、ライブでも同時に配信される形式が当たり前のように受け入れられていますからね。
松居 そうですね。でも私にとっては、ライブはやはり同じ空間で音が振動して、演奏者とリスナーの感情が溢れ出るような感覚を分かち合ってこそだと思っているので、そこはやっぱり配信では伝わらないものがあると思うんですよね。そういう場は無くしてほしくないなと思います。
さまざまなアーティストと、それぞれに異なる制作方法でできたフィーチャリング曲の数々
──さて、今回のアルバムの収録曲には、自然からインスパイアされてできた曲も多いと伺いました。
松居 そうですね。このアルバムが30枚目で、収録曲も300曲を超えているんですが、ある時は海だったり、星だったり森だったり、自然からインスパイアされてできた曲は多いです。今回が特に多いというわけではないです。
何が聞こえてきたかというのを書き留めて、それを最終的に12曲に絞っているんですが、今回は明るいバラードが4曲も入りました。これは過去最多です。
──あ、そうなんですね。
松居 共同プロデューサーでマネージャーのバド・ハーナーが「全部入れちゃえばいいよ」って言うので(笑)
結果的には全部入れてよかったなと思います。今回のアルバムはすごく明るいエネルギーが詰まっていると自分でも思いますね。
──それは先ほど言われていたような、パンデミックから明けてまた集まれる、旅にも出られるということが影響したんでしょうか?
松居 いや、最終的に仕上げていく過程ではそういうことも感じましたけど、元は曲なので、そういうモチーフが届いてきたというのは、自分が“次のステージ”からキャッチしたんだと思います。曲を集めている時は作曲家としての目線で居て、最初は100曲ぐらいあった候補から40にして、20にして、最終的に12曲にしました。その何段階かが1年半の間にあったんですけど、絞り込んでから作り上げていく時にはプロデューサーの視点も持ちつつ仕上げていきます。
実際、ミュージシャンを選んでスタジオに入って弾く時点では、曲に導かれているというか、私も含めて参加ミュージシャン全員が、曲に生かされ、インスパイアされてあの演奏が収録されたという感じです。
──フィーチャリング名義の曲が4曲ありますよね。それは単独名義の曲と制作過程が異なるものだったんでしょうか?
松居 いいえ、全曲まず基本のトラックを仕上げます。その中で、ゲストを迎えたい曲については、ゲストがソロを演奏する空間を残しておいたりします。
今回は3つのリズムセクションを組みました。例えば、グルーブ中心の5曲はグレッグ・ビゾネットというデヴィッド・リー・ロス・バンドにいたドラマーと、アレックス・アルというベーシスト、基本のギターパートにはトニー・ポリッツイ、そしてパーカッションは全編ルイス・コンテ。「THE CHOICE」は「ゲストギタリストを入れよう」と思い、マイク・スターンという少し違うジャンルのアーティストに決定。
ボーカル曲の「LOVE AND NOTHING LESS (featuring Lalah Hathaway & Grégoire Maret)」はAメロが聞こえてきた時に「これはレイラしかない」と思って、彼女には聞かずに曲全体を仕上げて、その上でレイラに声をかけたら「Beautiful!」と詞も書いて歌うことを快諾してくれました。曲のイメージを聞かれたので、曲の背景の想いをメールで説明し、最終的に彼女なりに解釈したものをあのような深くて美しい詞にしてくれました。
そして「レイラが歌うこの曲には絶対グレゴア・マレットのハーモニカ!」と閃いて、彼にも参加を依頼。
「NEO (featuring Randy Brecker)」については、『Echo』のリリースの後に、ランディ・ブレッカーにニューヨークのソニーホールでのコンサートに入ってもらったんですね。そのライブの時に、「この次はアルバムで吹いてもらいたいな」と思っていて、「NEO」はピッタリだと思ったのでランディに入ってもらいました。「LUMINESCENCE (featuring Kirk Whalum)」のカーク・ウェイラムは、親友と言えるアーティストで、コラボレーションのショーを最近まで一緒にしていて、彼にもこのアルバムに入ってもらおうと思って声をかけました。
「EUPHORIA (featuring Joel Ross)」のジョエル・ロスは、BLUE NOTE TOKYOの友人から「彼は最近活躍している若手アーティスト」と教わり
聴いてみて「いいな」と思ったので参加してもらいました。
──「THE CHOICE」のマイク・スターンさんをはじめとして、ゲストらしく弾きまくり、吹きまくりですよね。そのプレイに関してはお任せだったんですか?
松居 それも曲によって違いますね。「THE CHOICE」は、マイクに「このメロディと、ここのソロ・セクションと、最後のフェードアウトの部分は私のピアノと対話になるように」とお願いしたんですね。レコーディング直前に電話で再確認の際、「中間部のソロ、8小節しかないの?」と言われたので、「ここは短いけど、最後の対話の部分でどうぞたくさんとって!」と私。そういう割合も全て指定しています。ランディ・ブレッカーはフィーチャリングで入ってもらうと決めていて、私のピアノに全部合わせるんじゃなくて、彼らしさを出してほしかったんです。「トランペットよりフリューゲルホーンの方がいいと思うよ」と言うので、「じゃあそれでやってみて」ということで。彼の演奏は時にメロディアス、
時にロマンチック、時にアグレッシブで、本当に引き出しがいっぱいあるんですよね。基本のトラックで演奏している私たちは私たちで、フェードアウトになるはずが止まれなくなって、ウワーッと一気に録ったんですよ。そのトラックは全部生かして、ランディに「私との対話にしてね」とお願いしたら素晴らしい対話を作ってくれて。それも、5トラックぐらい録ってくれたんですよ。こちらが選択に困るぐらい。その中で「どれを使ってくれてもいいけど、自分としてはこれだと思う」というのが1つあって、それを聴いたらやっぱりそれが私にとっても一番でした。
──他のトラックも捨てがたいほどのものだったのでは?
松居 そうでしたね。でも、捨てるのもプロデューサーとしては大事なんですよ。よく録れていても、ミックスの過程で「これはいらないな」と思って削ったりとかはしますから。
──先ほども出た「LOVE AND NOTHING LESS (featuring Lalah Hathaway & Grégoire Maret)」は、唯一のボーカル曲でもありますし、アルバムの中でもすごくアクセントになっていますよね。ただ、1曲目の「STEPS ON THE GLOBE」でも顕著ですが、松居さんの弾くメロディは「実は歌詞がある」と言われても信じてしまうぐらいメロディアスなものが多いですよね。その中でも「LOVE AND NOTHING LESS」の場合は「ボーカルありしかない」と思えるものだったわけですか。
松居 「はい。今回のアルバムはボーカル曲を入れてもいいなとは思っていた中、この曲が届いてきました。
この曲は下の音域がとても低くて、しかも全部のメロディで2オクターブぐらいの幅があるんです。私は、基本に、人の心に残るようなメロディを書きたいという気持ちがあって、だいたい1オクターブ以内で口ずさめるようなものがいいと思ってるんですね。でもこの曲は2オクターブある。そこでレイラの音域をチェックして2オクターブは大丈夫と自信を持って仕上げました。彼女も、キーもこのままで大丈夫!と。彼女のレコーディング作業は素晴らしかったです。「メインパートでこの部分を歌って、ここは違う女の子たちに歌わせるから」って、頭の中で組み立てが全部できてるんですよ。
──それはコーラス隊というようなことですか?
松居 いやいや、それも全部彼女なんです。あの曲のコーラス・セクションは全部彼女が歌ってます。メインパートを歌った後に「じゃあ、今度はKEIKOのオリジナル・アイデアの1オクターブ下も重ねるから」と。そして「違う子たちに」というコーラスパートはちょっとエンジェリックな声で歌ったり、ボーカルの重ね方を全て見事にプランしてきてくれていました。
彼女は声の深みと温かさもとても魅力的なシンガーですよね。彼女がスタジオに入ってきて開口一番、「この曲は素晴らしいから、絶対みんなカバーするよ」って言うんです。「ダイアン・リーヴスとかアニタ・ベイカーとか、絶対みんなカバーするよ」って。「それは嬉しいけど、これはあなたのために書いたのよ」って言ったら、「その日、たまたまKEIKOのアルゴリズムが私に合ったんだわ! ありがとう、神様!」とレイラ。
──しかし、ボーカル曲が入るのは珍しいですよね?
松居 過去にはけっこうあるんですよ。1枚目のアルバムにも入っているし、カーラ・ボノフやフィリップ・ベイリーが歌っている曲もあります。過去30枚の中の7−8枚に含まれていたと思います。ただ、最近はインスト中心でした。
──ボーカルを入れたい曲が来れば、ということなんですね。
松居 そうです。今回の「LOVE AND NOTHING LESS」はメロディがしっかりあるので、バンド・メンバーから「インストでも演奏するのは?」と提案されたんですけど、私はやっぱり最初にこの曲をやる時はレイラと!と思うので。マネージャーは「代わりの歌手を立ててやれば?」って言ってくれたんですけど、「NO、初演はレイラしかない」と(笑)。そこは譲れなかったですね。レイラは今、ヒップホップのアーティストやロバート・グラスパーのコンサートにゲスト出演するなど忙しいですが、「可能性を見つけて近いうちに一緒に」という話はしています。
「今は『EUPHORIA』の曲をたくさんの人に届けたい!」
──松居さんご自身が、この12曲の中でアルバムを象徴すると思われている曲というのは?
松居 やっぱり「EUPHORIA」ですね。世界観やメッセージ性があって、アルバム全体を象徴しているというのではないんですが、今の時代に捧げる曲という感じですね。ただ、他の曲も全部、大事な子供たちなので、どれか一つというのは言えないです(笑)。
──そうでしょうね。
松居 「ROSSO CANTABILE」というタンゴっぽい曲は、パンデミック中にYouTubeでショパン・コンクールの映像を見ていて、インスパイアされて聞こえてきたメロディです。私はクラシック的な要素も好きなので「今回はそのジャンルも書いてみたいな」と思ってたら届いてきました。フラットいっぱいのAフラットマイナーというキーで。メインテーマがアメリカで完成した後、日本にいる時に近所を歩いていたらあのベースパターンが降りてきて。「あ、これとアレは合う!」と。そこに弦のパートもやってきたんですね。そんな風にアレンジのアイデアも一緒に来ることはありますね。色々な場所でひらめきがありました。
──アイデアが浮かんだ時は、スマホに録音されたりするんですか?
松居 今は便利なので、そういうのも使ってますよ。五線譜に書くことは多いですが、たまに外出中にメロディが浮かんできてその場で歌って録音。
後で聴いたら何を歌ってるのか全然分からない時とかもあって(笑)。
夢でメロディが降りてきて、起きてても覚えていたらいいサイン!と書き留めることもありますね。
──まさにいつやってくるか分からないんですね。
松居 本当にそうです。アルバムのために曲を作る期間になると、最初は自分にプレッシャーをかけすぎるんですね。「曲が降りてこなかったらどうしよう……」と。
以前、音楽関係者に、「天才のスティービー・ワンダーでも他のレジェンドでも、ある時期を過ぎたらオリジナルを書かなくなるんだよ」って言われたことがあるんです。「みんな、作れなくなるんだと思う」と。
全く気にはしてなかったんですけど、今回30枚目のアルバムを作るにあたって、それを思い出しちゃったんですね。「曲が来なかったらどうしよう」と。ひねり出して作っているわけではなくて、降りてくるかどうかが全てなので。
プレッシャーをかけすぎてちょっと凹んでいた時に、今度は別の自分が「何を甘ったれたことを言ってるんだ! レコード契約だってあるし予算も用意されている。先のコンサートも決まってるし、ファンからは『早くKEIKOの新しいメロディ、アルバムが聴きたい』と言われているのに」と。ファンの言葉を聞いた時に「NEW PASSAGE」という曲が聞こえてきたんですよ。「みんな待ってくれていて、先のコンサートも決まってるというような状況で、200%何をやってもいいという真っ白なキャンバスがある環境にあって、何を言っとるか!」と自分に喝を入れると、「そうだ!」とスイッチが切り替わる瞬間が来ます。そこから頭が「受付中」になって、聞こえ始めるんです。ただ、ピアノの前で自由に即興演奏をやって、そこから曲に……というのは一切やめてるんですね。
──そうなんですか。一般的にはそういうことも多いのかなというイメージですが。
松居 そうすると、手癖や気分で作れてしまうので。うちのバンドメンバーは、「KEIKO、みんなでスタジオに入って一緒にやれば、曲なんてすぐできるよ!」って言うんですけど、ダメ!と。それでも曲ができるのは分かるんですけど、私はメロディを受け取る時は一人で沈黙の中に居たいので。
今回はかなり長い間「受付中」をやって、いっぱい候補を抱えたまま日米を行ったり来たりしながら、五線譜に書き溜めました。それと同時に、タイトル用のノートを用意して、タイトル候補の言葉も集めていました。
──その作業を30枚分続けてこられたんですね。
松居 そうですね、「30枚もよくやるな」って自分でも思いました(笑)。でも、これがベストと思えるぐらい自分で納得いくものができたし、ファンの方もとても喜んでくださっているので幸せな結果です。
──実際、リリース以降アメリカではいいチャートアクションを記録していますよね。
松居 はい。ビルボードのオールミュージック・チャートとiTunesジャズチャートで1位になった他、アメリカのAmazonの新譜のランキングで1位になったりと幸先のいいスタートを切りました。それから、多くのメディアのアルバム・レビューで取り上げられました。辛口評で有名なメディアが絶賛してくれたりイギリスやアメリカのラジオで発売日よりも前にワールドプレミアとして何曲もオンエアされたり、嬉しい現象が起きてました。過去に3枚、1位になったアルバムがあるので、今回も1位になりたいと思いましたね。このアルバムも発売と同時に1位獲得。
これはどれだけ発売を待ってくれていた方があったかということでもあるので、ファンのサポートに感謝です。チャートに入ることだけが重要では無いですが、目につくことで、私の音楽を知らなかった方にも届くきっかけになり嬉しいです。
──前回もお聞きしましたが、これからトライしてみたいことというと?
松居 今は、この『EUPHORIA』を連れて、できる限りライブをやりたいですね。その他には、オーケストラとのコンサートをまだ日本に届けられていないのでやってみたいですね。チャリティー活動として去年はパラグアイに行きました。そこで聞いた神話・伝説の印象から「LEGEND OF YAGUARÓN」という曲は生まれています。
次の活動の地としてアルゼンチンとブラジルが候補になっています。自分が健康で音楽と旅ができる事に感謝しつつ恩返しができたらいいなと思い、スタートしたチャリティ活動は今後も続けていきます。南米に向けての活動は、NGO「GOROM」の方が、私の音楽を届けることで、貧しい地域の人々や大変な生活を強いられている子供たちが希望や愛を感じ、明るい未来に向けての勇気が湧いてくると信じて下さって実現しています。
あとは……過去にも機会はありましたが、映画音楽ももっと手がけていきたいですね。
──前回のインタビューでも、オーケストラのお話はされていましたよね。その際はあと一つ、共演したい人物の名前を挙げられていたんですが……。
松居 スティングですか? ずっと言っていればだいたい叶うと言われますが、スティングは実現しないですね(笑)。
──この先、どんな巡り合わせがあるか分からないですからね(笑)。
松居 そうですね。まあコラボレーションは新鮮なものが出せる反面、自分の音楽を集中して届ける時間が限られるという側面もあって。
今は『EUPHORIA』をもっともっと届けたいという気持ちが一番ですね。
今回、コンサートのプログラムに9曲も新譜から追加したのは初めてなんですよ。今までは入れても5曲ぐらいでしたが、今回はどれも弾きたくて。
ただファンの方が慣れ親しんだものも含めたいので、4曲は過去のアルバムから
入れました。まだまだ生まれたばかりのアルバムなので、これに当分は命を懸けて。(笑)
本当は「このアルバムができたらしばらく休みたい」と思っていた私でした。
そして、今回のアルバムジャケットには顔を出したくない」って言ってたんです。音楽が表現しているからそれで充分と。マネージャーは「そんなこと言わないで、ファンは喜ぶから」と。それなら写真家と話をしたいということで、撮影の数週間前にミーティングをしました。アルバムも聴いてもらった上で、このアルバムのエネルギーや背景にある私の気持ちなども説明したら、写真だけではなく、アートと組み合わせたデザインを仕上げてくれました。そうやって納得いく形で出来上がると、「ああ、やっぱりこれを届けに行かなくては!」というエネルギーが湧き上がってきて、今は新たな気持ちでツアーしています。
──また忙しい日々が戻ってきますね。
松居 7月はデトロイトでのコンサート。その後8月はフェスや毎年欠かさずに行く北カリフォルニアやシアトルでのショー。秋もかなり過密スケジュールが続いています。その後、パンデミックで3年も延期されていたマヨルカ島のフェスに出演します。
旅慣れてはいるものの、パンデミックで長い間ツアーに出ない日々が続いた後は、荷造りも、空港のセキュリティを通るのも面倒になってしまって。。。(笑)
──分かります(笑)。
松居 きっともうすぐそんな事も気にならないほど元のモードに戻るかもしれませんね。(笑)コンサートが続く方が、元気かもしれないです。
今回の日本ツアーもそうですが、お客さまの笑顔からリチャージできるので幸せです。
──多忙な中、お体にもお気をつけてください。ありがとうございました!
松居慶子
『EUPHORIA』
2023.06.28 Release
【松居慶子 Official Website】
http://www.keikomatsui.com/
【松居慶子 公式サイト(日本)】
https://avex.jp/keikomatsui/
【Facebook】
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【Instagram】
https://www.instagram.com/keikomatsuijazz/
【Twitter】
https://twitter.com/keikomatsui
- WRITTEN BY高崎計三
- 1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。