【竹林でDJパフォーマンス?!】Yamatoとは一体何者かを探る!独占インタビュー
DJデビューからわずか2年でコカコーラ社の主催する「burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN」に優勝。イビサ島で行われた世界大会ではAviciiから指名を受け、ハンガリーのフェスで日本人として初共演を果たしたのを皮切りに、今や世界中で活躍し多くの注目を集めるDJ Yamatoさん。今年は西川貴教さんの本名名義での初ライブツアーにも、バックDJ、マニピュレーターとして参加しています。新作パフォーマンスビデオ「AUTUMN」と、そこで使用されているトラック「ZEN」を公開した彼に、新作やDJのことはもちろん、これまであまり公にされてこなかった彼の経歴などにも迫りました!
ウォークマンとの出会いで「音」に目覚める
──このサイトには初めてご登場いただくことと、そもそもDJの方にご登場いただくこともなかなかない機会なので、「どういう方ですか?」「そもそもDJって?」というところまで含めてお聞きできればと思ってます。「そこからかよ!」みたいな質問もあるかと思いますが(笑)、よろしくお願いします。
DJ Yamato(以下Y) 大丈夫ですよ(笑)。よろしくお願いします。
──最初からググッとさかのぼりますが、記憶に残る最初の音楽体験っていつですか?
Y 小学校の頃だったと思います。当時サッカーをしていて、静岡で行われる全国大会に県代表として勝ち進んだんですが、その時に遠征先でホームステイをしてたんですね。そこに年の近い子供がいて仲良くなって、同じ部屋に泊まることになったんですけど、その部屋にカセットウォークマンがあったんです。ウォークマン自体を見るのが初めてで、「ちょっと聴かせて」と。
──珍しかったんですね。
Y 初めて聴いたら「あっ、すごい! こんな物が世の中にあるんだ!」と思って、それが音響製品との出会いでした。そこからスポーツをやりつつ音楽にも興味が出たんですが、当時はMDがすごく流行っていたので、何年かお年玉を貯めて、MDウォークマンを買いました。それがまだ小学生の時ですね。
──小学生で興味を持つというのは、早い方ですよね。
Y そうですね。そこからスピーカーとか、音と映像に関する製品にすごく興味が出てスピーカーを分解したりして、そういう物の開発の仕事がしたいと思うようになりました。「演奏する」とか「曲を作る」よりも、どちらかというと最初は「物作り」に興味がありましたね。
──スポーツはけっこうやられてたんですか?
Y やりましたね。父が甲子園出場経験があって、それで野球を始めて……サッカー、水泳、陸上……大学の時はストリートダンスをやってて。
──それでサッカーでは全国大会出場って、スポーツ万能じゃないですか! 今も体を動かすのは好きですか?
Y トレーニングはしています。友人らとトレーニング部を作って定期的に集まっています。
──それは筋トレってことですよね?
Y はい。今、西川貴教さんのバックDJ兼マニピュレーターをやってるんですが、西川さんとの出会いがきっかけで「トレーニングしたい!」と思って、始めました。
──なるほど。少年期を過ごす中で、「DJ」というものを意識したことはあったんですか?
Y いえ、全くないですね。DJを初めて意識したのは、大学の頃だと思います。ストリートダンスのイベントに出た時にDJがいたりして、テクニクスのターンテーブルとかパイオニアのCDJ-1000が置いてあるのを見て「DJ機材ってカッコいいな」と思ったりはしました。その時点では、自分がやることになるなんて思ってもなかったですけどね。
──ストリートダンスはどういうきっかけで?
Y 大学に入るまで文武両道を目指して頑張っていましたが、生活のメインは「部活」だったんですよね。決められた時間に決められたことをする日々で、「自由な時間が欲しいな」という思いがあって。
その当時TVなどでもダンスを扱った番組を多く見たりした事で「大学ではこういうことをやりたいな」と思ってました。
──ダンスでも運動神経が生きたわけですね。
Y リズム感はあったのかどうか分からないですけどね。ただ、小中とエレクトーンもやっていたので、そのへんも少しは関係してるかもしれません。
──お聞きしていると、ダンスもしっかりと取り組んでいたのでは?
Y そうですね、のめり込んじゃう性格なんですよ(笑)。
──その頃に好きだったアーティストや曲というと?
Y 当時はアーティスト名とかを気にせず、ただ楽しく踊ることが中心でした。そんな中でもジェームス・ブラウンとか、あとは……Eric B. & Rakimとかいいなと思っていました。
──大学時代はストリートダンス一筋ですか。
Y そうですね、“漬け”ですね(笑)。大学での専攻は理系で情報系だったんですが。
パイオニアでDJ機器を開発しながらテクニックを磨く
──卒業後はパイオニアに入社されたんですよね。それは専攻からの流れも?
Y それもありますが、もともと小さい頃から家電製品に興味があったり、音と映像と物作りの仕事がしたいという思いが、就職につながりました。最初はスピーカーの開発がしたくて入ったんですでもスピーカー部門の勤務地は地方だったので、悩みました……(笑)。
──ああ、大きな会社だからそういう問題もあるわけですね。
Y 当時はTVだったりBlu-rayだったり、スピーカー、カーナビ、DJ機器……といろんな部門がある中で、「DJ機器って面白そうだな」って思って。ただDJ機器の部署は人気でしたね。
──狭き門ですね。
Y そうですね、配属されなかったら僕はDJになってないです。
──おお、まさに人生の分岐点!
Y DJバトルで優勝した時もサマソニに出た時も、まだサラリーマンでしたからね。(笑)
──しかし配属されるまでは、DJとはほとんど縁がなかったんですよね?
Y そうですね。ストリートダンスのイベントの時に、クラブの機材をちょっと触らせてもらった程度で。「このボタンは何?」ってレベルで、「どうやって曲をつないでるんだろう?」という感覚でした。
──ということはDJの基礎は……
Y 先輩に教わりました。世界中のDJの人と繋がる機会も増え、いろんな話を聞いたりデモプレイを見たりしていく中で、いろいろ学んでいきましたね。「世界の人たちはこうやってるんだ」という感じで。そうしているうちにDJをやりたいとういう意識が芽生えました。
──それはすごい経験ですね。
Y 入社してすぐに、「イビサ島(スペインにある島。DJやクラブカルチャー、ダンスミュージックの中心地として知られる)はこういうところだよ」とか、教えてもらうんですが、そこに日本チャンピオンとして行けたのは凄くいい経験をさせて頂いたなと思っています。
──言い方がアレですが、給料をもらいながらDJの勉強をさせてもらってた感じですね。
Y そうですね(笑)。昼休みの度にDJの練習をするようになりましたけど、入社すぐはまだDJをやっていなかったんですが、他の製品などの販売実習などがあると競争ごとが好きな性格なので競っていたりしました。
──競うシチュエーションになると燃えるタイプなんですね(笑)。
Y 好きですね。スポーツをやっていたのが大きいです。サッカーでも、県で優勝しないと全国大会には行けないわけですからね。
──しかしサッカーで全国大会出場、そしてDJコンテストで日本一って、すごいですね!
Y ありがとうございます、一度ハマるととことん追い込むタイプなので(笑)。今は自分の性に合った仕事ができてると思いますね。自分の好きなことを仕事にできているので。
DJとしての生き方は「アイアンマン」!?
──2013年の「burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN」で優勝されたことで、DJとしての道が大きく開けたわけですが、当時の映像を見ると、今とかなり風貌が違いますよね。
Y サラリーマンでしたからね。しかも花粉症だったので、コンタクトを忘れてメガネでいきなりプレイせざるを得なくて(笑)。
──その優勝がきっかけでDJとして独立することに?
Y はい。当時相談できる上司に話を聞いてもらったりして、決断しました。
──踏み出すには勇気が必要でしたか?
Y もちろん当時は家族に心配されたりしましたが、今は西川さんと一緒にやったりもしているし、「イナズマロックフェス」がちょうど終わったところなんですけど、滋賀では誰でも知っているイベントなので、そこに出られたことは喜んでくれました。
──親御さんの世代からすると、「DJが職業になるのか?」という感覚ですよね。
Y はい。ただ、ダメだとは言われなかったので。
──そこから現在は世界で活躍されているわけですよね。ここに至るまでで、転機になった舞台というと?
Y 転機になったというと、やっぱり「burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN」ですね。まず日本で一番にならないと、イビサでの世界大会(「burn STUDIOS RESIDENCY」)に行けないわけじゃないですか。僕はそれが3回目のDJバトル出場で、1回目が優勝、2回目が準優勝だったんです。ホントに勝負事は負けたくないので、準優勝の時は決勝で負けてすごく悔しくて泣いてしまって、その次のバトル出場だったんです。
──悔しさがバネになったと。
Y はい。CDJもいきなり4台使えなかったので、大会に出るたびに1台ずつ増やしていったんですよね。最初は2台で、次が3台、その次が4台と。
開発の仕事をしながらだったので、感覚としては「アイアンマン」みたいな感じでした。
──「アイアンマン」?
Y アイアンマンって自分が開発したパワードスーツを装着して戦うじゃないですか。僕もそんな感じで、DJ機器を開発しながら戦うっていう。
──ああ、なるほど。今必要な武装のパーツを、自分で作って装備するみたいな。
Y そんな感じですね(笑)。それで、会社を辞めたんですけど、そうなったきっかけは、日本で優勝したことではなく、Aviciiです。
──ご指名を受けて共演したんですよね。
Y イビサでの世界大会の時に、Aviciiから「ミックスが一番よかった。飛び抜けてた」って言ってもらえて、ハンガリーのフェスで共演が決まったんですよ。
──Aviciiさんとの交流は?
Y イビサで一回会ったのと、ハンガリーのブダペストで共演した時も会って話ができて。その時僕は彼の後にプレイしたんですよ。その次が日本で、彼が2016年に一度だけ来日した時、東京と大阪の公演にオープニングアクトで出させてもらって。あの時は一緒にご飯に行きました。焼肉だったと思うんですけど、一緒に酔っ払って。
──Aviciiさんはどんな方でしたか?
Y 純粋な人だと思いますよ。日本酒がすごく好きで、「サケ、サケ」って言ってたし、飲まされたりもしました(笑)。
──お酒はホントに飲んでたみたいですね。
Y お酒は好きでしたね。すごく貴重な時間を過ごさせてもらったなと思います。昨年、彼が亡くなったっていうニュースが来た日は、僕は台湾でDJをしてたんです。ちょうど彼の曲もかけたりしていて、終わった後にスタッフから聞かされて、「は!?」って。すごく悲しかったですね。
──活動が広がっていく中で、「DJ」の認知度も変わってきたと思います。それを肌で感じるところもあったと思いますが。
Y 国によって全然違うんですよね。ヨーロッパの一部の国ではラジオの番組をDJが担当してたりするので。しゃべる方ではなく、ずっとプレイしてるんです。イギリスのBBC RadioなんかではDJの曲もバンバンかかっていて、それを聴いておけば今の流行りの曲がだいたい分かるみたいな。
──なるほど。
Y 今、日本でオリコンランキングに入っている曲って、J-POPがほとんどだと思うんですよ。海外だと、そこにDJの曲が入ってくるんですよね。なりたい職業のランキングでも、5位とか6位に入ってますからね。将来どうなるかはわからないですけど、現時点で日本ではほとんどランキングに入っていなかったりするので興味深いなと思っています。
他の誰もやっていない技を引っさげ、世界のトップDJに!
Yamato DJ Performance - AUTUMN -
──さて、新作パフォーマンスビデオ「AUTUMN」が公開されました。「SPRING」に続く季節シリーズで、同じく和のコンセプトを生かして竹林の中でDJプレイをされていますね。
Y 「日本人を世界に」っていうコンセプトの元に、日本の四季をDJパフォーマンスで見せるというシリーズです。今回は栃木県の「若竹の杜 若山農場」というところの竹林で撮影したんですが、撮影場所については毎回、スタッフといろんなアイデアを出して決めてます。
──「秋らしい風景」にもいろいろあると思うんですが、その中で竹を選んだというのは?
Y 和歌などの季語では「竹林」は秋の季語とされていて、竹の葉が1年で1番青々と茂るのが秋という事もありますが単純に、「竹林の中でDJパフォーマンスした人って、まだ一人もいないよね」ということですね。探究心が強い性格のせいか常に、誰もやったことのないことをやりたいと思っちゃうんですよね。
ありがたいことに多くの外国の方からも見てもらえていたり、コメントをくださったりしていて、今回の作品も多くの方に見てもらえたら嬉しいなと思っています。
──確かに、コメントもほとんどが英語などの外国語でした。
Y そういった海外の人たちに、日本の美しい景色を見てもらうというのも大きな要素ですね。
──このビデオに使われているのが、同時に配信される「ZEN」という曲ですね。タイトルもそうですが、これまでの曲よりも和のテイストが強調されているように感じました。
Y ですね。三味線の音とかも使っているので。最初と最後にZENのトラックを使って、間はDJのトラックを僕なりにアレンジしてつないでいます。
──「SPRING」でも「春の海」が冒頭に入っていましたが、和のモチーフというのは、他のトラックと合わせやすいものなんでしょうか?
Y 合わせやすいかと聞かれるとしにくいんですけど、それをどう合わせるかがDJですからね。どういう風につないでいくかというのも含めて。逆にそこが醍醐味でもあるので、最終的にはいいものができたなと思ってます。
Yamato DJ Performance - SPRING -
──作っていく時というのは、どういう過程を踏むものなんですか?
Y ビデオによってバラバラなんですが、今回の「AUTUMN」に関しては、まず「ZEN」のトラックを作りました。「ここでこう演奏できたらいいな」とか「三味線の音を、実際に打ち込みでできたら面白いんじゃないか」とか、パフォーマンスを想像しながら作っていった感じです。つなぐ曲とかは、トラックができた後に探しました。
──なるほど。
Y 2017年の「Pioneer DJ」の動画からは自分のトラックを入れていこうという感じになったんです。ただ人の曲をつなぐだけじゃなくて、他の人とは違うやり方で、ライブっぽくやろうと。僕はCDJを、「DJ機器」というよりは「楽器」のような扱いで使っているので。
Yamato - CDJ-2000NXS2 & DJM-900NXS2 Performance
──パフォーマンスビデオを見て思っていたんですが、やっぱり「楽器」という意識なんですね。
Y 僕の中では「楽器」ですね。色んな方から「YamatoさんのDJプレイって、『楽器』ですよね」って言われたりして、ああ、楽器として認識してくれているんだなと思いました。
──その中で、テクニックの側面に注目が集まることが多いと思うんですが、それはご本人としても望むところなんでしょうか?
Y そうですね。ただ現場によってはCDJが2台だったり屋外の時などは画面やLED、手元が見づらかったりするので、対応も大変な所はあったりします。
──確かに。
Y ただ、ビデオでは技術の部分を出せたらいいなと思って作ってます。自分しかやらない技というか、自分が世界で初めてやった技とかもたくさんあるので。そこが魅力になったりもするんですよね。「今のはどうやってるんだろう?」みたいな。
──先ほどからお話が出ている西川貴教さんのバンドですが、普段の活動とはまたいろいろと違いますよね?
Y そうですね。普段は1人でステージに立つのが、仲間と一緒に立つことになりますから。刺激をたくさんもらっています。
──バンドの一員としてプレイするという部分も、普段と違いますよね。
Y はい。マニピュレーター(演奏の中で使用する音声データなどをプログラミングしたり、それをライブで流す役割)もやっているんですが、そこの技術については西川さんの現場をやり出してから覚えました。全てが西川さんの曲でやるわけなので、全然違うし、新鮮です。
──ですよね。しかも、他のメンバーもいるわけじゃないですか。
Y バンドのメンバーと一緒に何かをやるというのは初めての経験で、最初は不安もありましたが、素晴らしい方達に出会えたと思っています。
──そこで特に意識していることは?
Y チームワークですね。ライブ中メンバーの皆とアイコンタクトを取りながら、会場の皆さんと1つになれるよう心がけています。
テクニックの部分も期待されているのでスクラッチとかもやるんですけど、パフォーマンスの部分ではDJらしくオーディエンスを引き込むようなカラダ全体の動きなども意識したりしています。
──それも含めて、西川さんからは「飛び道具」的な役割も期待されているように思います。
Y そうですね。バックDJをつけること自体初めてということだし、もちろんその期待にも応えようと心がけています。DJブースから飛び出して西川さんのところに行ってヘドバンしたりもしてますからね(笑)。
──それはすごい(笑)。さて、この先の活動、ビジョンというと?
Y 目標は明確にあって、世界のトップDJになりたいと思ってます。この仕事をやっていく以上は。テクニックでは全然負けてないと思うんですけど、次は曲の方をもっと伸ばして。両方ある人って、世界中を探してもそんなにいないと思うんですよね。なので、二刀流で頑張っていきたいなと思っています。
──そこに、先ほど伺ったような「勝負事には負けられない」という気持ちが加わるわけですね。
Y そうですね。でもそれって結局、シーンが盛り上がることにつながってくると思うので。他の人を蹴落とすとかじゃなくて、みんなで一緒に世界を目指せたらなと思ってます。
撮影 長谷 英史
New Digital Single 「ZEN」
2019.10.2 OUT NOW
▽楽曲配信はこちら
https://avex.lnk.to/Vz3Y1
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ウォークマンとの出会いで「音」に目覚める
──このサイトには初めてご登場いただくことと、そもそもDJの方にご登場いただくこともなかなかない機会なので、「どういう方ですか?」「そもそもDJって?」というところまで含めてお聞きできればと思ってます。「そこからかよ!」みたいな質問もあるかと思いますが(笑)、よろしくお願いします。
DJ Yamato(以下Y) 大丈夫ですよ(笑)。よろしくお願いします。
──最初からググッとさかのぼりますが、記憶に残る最初の音楽体験っていつですか?
Y 小学校の頃だったと思います。当時サッカーをしていて、静岡で行われる全国大会に県代表として勝ち進んだんですが、その時に遠征先でホームステイをしてたんですね。そこに年の近い子供がいて仲良くなって、同じ部屋に泊まることになったんですけど、その部屋にカセットウォークマンがあったんです。ウォークマン自体を見るのが初めてで、「ちょっと聴かせて」と。
──珍しかったんですね。
Y 初めて聴いたら「あっ、すごい! こんな物が世の中にあるんだ!」と思って、それが音響製品との出会いでした。そこからスポーツをやりつつ音楽にも興味が出たんですが、当時はMDがすごく流行っていたので、何年かお年玉を貯めて、MDウォークマンを買いました。それがまだ小学生の時ですね。
──小学生で興味を持つというのは、早い方ですよね。
Y そうですね。そこからスピーカーとか、音と映像に関する製品にすごく興味が出てスピーカーを分解したりして、そういう物の開発の仕事がしたいと思うようになりました。「演奏する」とか「曲を作る」よりも、どちらかというと最初は「物作り」に興味がありましたね。
──スポーツはけっこうやられてたんですか?
Y やりましたね。父が甲子園出場経験があって、それで野球を始めて……サッカー、水泳、陸上……大学の時はストリートダンスをやってて。
──それでサッカーでは全国大会出場って、スポーツ万能じゃないですか! 今も体を動かすのは好きですか?
Y トレーニングはしています。友人らとトレーニング部を作って定期的に集まっています。
──それは筋トレってことですよね?
Y はい。今、西川貴教さんのバックDJ兼マニピュレーターをやってるんですが、西川さんとの出会いがきっかけで「トレーニングしたい!」と思って、始めました。
──なるほど。少年期を過ごす中で、「DJ」というものを意識したことはあったんですか?
Y いえ、全くないですね。DJを初めて意識したのは、大学の頃だと思います。ストリートダンスのイベントに出た時にDJがいたりして、テクニクスのターンテーブルとかパイオニアのCDJ-1000が置いてあるのを見て「DJ機材ってカッコいいな」と思ったりはしました。その時点では、自分がやることになるなんて思ってもなかったですけどね。
──ストリートダンスはどういうきっかけで?
Y 大学に入るまで文武両道を目指して頑張っていましたが、生活のメインは「部活」だったんですよね。決められた時間に決められたことをする日々で、「自由な時間が欲しいな」という思いがあって。
その当時TVなどでもダンスを扱った番組を多く見たりした事で「大学ではこういうことをやりたいな」と思ってました。
──ダンスでも運動神経が生きたわけですね。
Y リズム感はあったのかどうか分からないですけどね。ただ、小中とエレクトーンもやっていたので、そのへんも少しは関係してるかもしれません。
──お聞きしていると、ダンスもしっかりと取り組んでいたのでは?
Y そうですね、のめり込んじゃう性格なんですよ(笑)。
──その頃に好きだったアーティストや曲というと?
Y 当時はアーティスト名とかを気にせず、ただ楽しく踊ることが中心でした。そんな中でもジェームス・ブラウンとか、あとは……Eric B. & Rakimとかいいなと思っていました。
──大学時代はストリートダンス一筋ですか。
Y そうですね、“漬け”ですね(笑)。大学での専攻は理系で情報系だったんですが。
パイオニアでDJ機器を開発しながらテクニックを磨く
──卒業後はパイオニアに入社されたんですよね。それは専攻からの流れも?
Y それもありますが、もともと小さい頃から家電製品に興味があったり、音と映像と物作りの仕事がしたいという思いが、就職につながりました。最初はスピーカーの開発がしたくて入ったんですでもスピーカー部門の勤務地は地方だったので、悩みました……(笑)。
──ああ、大きな会社だからそういう問題もあるわけですね。
Y 当時はTVだったりBlu-rayだったり、スピーカー、カーナビ、DJ機器……といろんな部門がある中で、「DJ機器って面白そうだな」って思って。ただDJ機器の部署は人気でしたね。
──狭き門ですね。
Y そうですね、配属されなかったら僕はDJになってないです。
──おお、まさに人生の分岐点!
Y DJバトルで優勝した時もサマソニに出た時も、まだサラリーマンでしたからね。(笑)
──しかし配属されるまでは、DJとはほとんど縁がなかったんですよね?
Y そうですね。ストリートダンスのイベントの時に、クラブの機材をちょっと触らせてもらった程度で。「このボタンは何?」ってレベルで、「どうやって曲をつないでるんだろう?」という感覚でした。
──ということはDJの基礎は……
Y 先輩に教わりました。世界中のDJの人と繋がる機会も増え、いろんな話を聞いたりデモプレイを見たりしていく中で、いろいろ学んでいきましたね。「世界の人たちはこうやってるんだ」という感じで。そうしているうちにDJをやりたいとういう意識が芽生えました。
──それはすごい経験ですね。
Y 入社してすぐに、「イビサ島(スペインにある島。DJやクラブカルチャー、ダンスミュージックの中心地として知られる)はこういうところだよ」とか、教えてもらうんですが、そこに日本チャンピオンとして行けたのは凄くいい経験をさせて頂いたなと思っています。
──言い方がアレですが、給料をもらいながらDJの勉強をさせてもらってた感じですね。
Y そうですね(笑)。昼休みの度にDJの練習をするようになりましたけど、入社すぐはまだDJをやっていなかったんですが、他の製品などの販売実習などがあると競争ごとが好きな性格なので競っていたりしました。
──競うシチュエーションになると燃えるタイプなんですね(笑)。
Y 好きですね。スポーツをやっていたのが大きいです。サッカーでも、県で優勝しないと全国大会には行けないわけですからね。
──しかしサッカーで全国大会出場、そしてDJコンテストで日本一って、すごいですね!
Y ありがとうございます、一度ハマるととことん追い込むタイプなので(笑)。今は自分の性に合った仕事ができてると思いますね。自分の好きなことを仕事にできているので。
DJとしての生き方は「アイアンマン」!?
──2013年の「burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN」で優勝されたことで、DJとしての道が大きく開けたわけですが、当時の映像を見ると、今とかなり風貌が違いますよね。
Y サラリーマンでしたからね。しかも花粉症だったので、コンタクトを忘れてメガネでいきなりプレイせざるを得なくて(笑)。
──その優勝がきっかけでDJとして独立することに?
Y はい。当時相談できる上司に話を聞いてもらったりして、決断しました。
──踏み出すには勇気が必要でしたか?
Y もちろん当時は家族に心配されたりしましたが、今は西川さんと一緒にやったりもしているし、「イナズマロックフェス」がちょうど終わったところなんですけど、滋賀では誰でも知っているイベントなので、そこに出られたことは喜んでくれました。
──親御さんの世代からすると、「DJが職業になるのか?」という感覚ですよね。
Y はい。ただ、ダメだとは言われなかったので。
──そこから現在は世界で活躍されているわけですよね。ここに至るまでで、転機になった舞台というと?
Y 転機になったというと、やっぱり「burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN」ですね。まず日本で一番にならないと、イビサでの世界大会(「burn STUDIOS RESIDENCY」)に行けないわけじゃないですか。僕はそれが3回目のDJバトル出場で、1回目が優勝、2回目が準優勝だったんです。ホントに勝負事は負けたくないので、準優勝の時は決勝で負けてすごく悔しくて泣いてしまって、その次のバトル出場だったんです。
──悔しさがバネになったと。
Y はい。CDJもいきなり4台使えなかったので、大会に出るたびに1台ずつ増やしていったんですよね。最初は2台で、次が3台、その次が4台と。
開発の仕事をしながらだったので、感覚としては「アイアンマン」みたいな感じでした。
──「アイアンマン」?
Y アイアンマンって自分が開発したパワードスーツを装着して戦うじゃないですか。僕もそんな感じで、DJ機器を開発しながら戦うっていう。
──ああ、なるほど。今必要な武装のパーツを、自分で作って装備するみたいな。
Y そんな感じですね(笑)。それで、会社を辞めたんですけど、そうなったきっかけは、日本で優勝したことではなく、Aviciiです。
──ご指名を受けて共演したんですよね。
Y イビサでの世界大会の時に、Aviciiから「ミックスが一番よかった。飛び抜けてた」って言ってもらえて、ハンガリーのフェスで共演が決まったんですよ。
──Aviciiさんとの交流は?
Y イビサで一回会ったのと、ハンガリーのブダペストで共演した時も会って話ができて。その時僕は彼の後にプレイしたんですよ。その次が日本で、彼が2016年に一度だけ来日した時、東京と大阪の公演にオープニングアクトで出させてもらって。あの時は一緒にご飯に行きました。焼肉だったと思うんですけど、一緒に酔っ払って。
──Aviciiさんはどんな方でしたか?
Y 純粋な人だと思いますよ。日本酒がすごく好きで、「サケ、サケ」って言ってたし、飲まされたりもしました(笑)。
──お酒はホントに飲んでたみたいですね。
Y お酒は好きでしたね。すごく貴重な時間を過ごさせてもらったなと思います。昨年、彼が亡くなったっていうニュースが来た日は、僕は台湾でDJをしてたんです。ちょうど彼の曲もかけたりしていて、終わった後にスタッフから聞かされて、「は!?」って。すごく悲しかったですね。
──活動が広がっていく中で、「DJ」の認知度も変わってきたと思います。それを肌で感じるところもあったと思いますが。
Y 国によって全然違うんですよね。ヨーロッパの一部の国ではラジオの番組をDJが担当してたりするので。しゃべる方ではなく、ずっとプレイしてるんです。イギリスのBBC RadioなんかではDJの曲もバンバンかかっていて、それを聴いておけば今の流行りの曲がだいたい分かるみたいな。
──なるほど。
Y 今、日本でオリコンランキングに入っている曲って、J-POPがほとんどだと思うんですよ。海外だと、そこにDJの曲が入ってくるんですよね。なりたい職業のランキングでも、5位とか6位に入ってますからね。将来どうなるかはわからないですけど、現時点で日本ではほとんどランキングに入っていなかったりするので興味深いなと思っています。
他の誰もやっていない技を引っさげ、世界のトップDJに!
Yamato DJ Performance - AUTUMN -
──さて、新作パフォーマンスビデオ「AUTUMN」が公開されました。「SPRING」に続く季節シリーズで、同じく和のコンセプトを生かして竹林の中でDJプレイをされていますね。
Y 「日本人を世界に」っていうコンセプトの元に、日本の四季をDJパフォーマンスで見せるというシリーズです。今回は栃木県の「若竹の杜 若山農場」というところの竹林で撮影したんですが、撮影場所については毎回、スタッフといろんなアイデアを出して決めてます。
──「秋らしい風景」にもいろいろあると思うんですが、その中で竹を選んだというのは?
Y 和歌などの季語では「竹林」は秋の季語とされていて、竹の葉が1年で1番青々と茂るのが秋という事もありますが単純に、「竹林の中でDJパフォーマンスした人って、まだ一人もいないよね」ということですね。探究心が強い性格のせいか常に、誰もやったことのないことをやりたいと思っちゃうんですよね。
ありがたいことに多くの外国の方からも見てもらえていたり、コメントをくださったりしていて、今回の作品も多くの方に見てもらえたら嬉しいなと思っています。
──確かに、コメントもほとんどが英語などの外国語でした。
Y そういった海外の人たちに、日本の美しい景色を見てもらうというのも大きな要素ですね。
──このビデオに使われているのが、同時に配信される「ZEN」という曲ですね。タイトルもそうですが、これまでの曲よりも和のテイストが強調されているように感じました。
Y ですね。三味線の音とかも使っているので。最初と最後にZENのトラックを使って、間はDJのトラックを僕なりにアレンジしてつないでいます。
──「SPRING」でも「春の海」が冒頭に入っていましたが、和のモチーフというのは、他のトラックと合わせやすいものなんでしょうか?
Y 合わせやすいかと聞かれるとしにくいんですけど、それをどう合わせるかがDJですからね。どういう風につないでいくかというのも含めて。逆にそこが醍醐味でもあるので、最終的にはいいものができたなと思ってます。
Yamato DJ Performance - SPRING -
──作っていく時というのは、どういう過程を踏むものなんですか?
Y ビデオによってバラバラなんですが、今回の「AUTUMN」に関しては、まず「ZEN」のトラックを作りました。「ここでこう演奏できたらいいな」とか「三味線の音を、実際に打ち込みでできたら面白いんじゃないか」とか、パフォーマンスを想像しながら作っていった感じです。つなぐ曲とかは、トラックができた後に探しました。
──なるほど。
Y 2017年の「Pioneer DJ」の動画からは自分のトラックを入れていこうという感じになったんです。ただ人の曲をつなぐだけじゃなくて、他の人とは違うやり方で、ライブっぽくやろうと。僕はCDJを、「DJ機器」というよりは「楽器」のような扱いで使っているので。
Yamato - CDJ-2000NXS2 & DJM-900NXS2 Performance
──パフォーマンスビデオを見て思っていたんですが、やっぱり「楽器」という意識なんですね。
Y 僕の中では「楽器」ですね。色んな方から「YamatoさんのDJプレイって、『楽器』ですよね」って言われたりして、ああ、楽器として認識してくれているんだなと思いました。
──その中で、テクニックの側面に注目が集まることが多いと思うんですが、それはご本人としても望むところなんでしょうか?
Y そうですね。ただ現場によってはCDJが2台だったり屋外の時などは画面やLED、手元が見づらかったりするので、対応も大変な所はあったりします。
──確かに。
Y ただ、ビデオでは技術の部分を出せたらいいなと思って作ってます。自分しかやらない技というか、自分が世界で初めてやった技とかもたくさんあるので。そこが魅力になったりもするんですよね。「今のはどうやってるんだろう?」みたいな。
──先ほどからお話が出ている西川貴教さんのバンドですが、普段の活動とはまたいろいろと違いますよね?
Y そうですね。普段は1人でステージに立つのが、仲間と一緒に立つことになりますから。刺激をたくさんもらっています。
──バンドの一員としてプレイするという部分も、普段と違いますよね。
Y はい。マニピュレーター(演奏の中で使用する音声データなどをプログラミングしたり、それをライブで流す役割)もやっているんですが、そこの技術については西川さんの現場をやり出してから覚えました。全てが西川さんの曲でやるわけなので、全然違うし、新鮮です。
──ですよね。しかも、他のメンバーもいるわけじゃないですか。
Y バンドのメンバーと一緒に何かをやるというのは初めての経験で、最初は不安もありましたが、素晴らしい方達に出会えたと思っています。
──そこで特に意識していることは?
Y チームワークですね。ライブ中メンバーの皆とアイコンタクトを取りながら、会場の皆さんと1つになれるよう心がけています。
テクニックの部分も期待されているのでスクラッチとかもやるんですけど、パフォーマンスの部分ではDJらしくオーディエンスを引き込むようなカラダ全体の動きなども意識したりしています。
──それも含めて、西川さんからは「飛び道具」的な役割も期待されているように思います。
Y そうですね。バックDJをつけること自体初めてということだし、もちろんその期待にも応えようと心がけています。DJブースから飛び出して西川さんのところに行ってヘドバンしたりもしてますからね(笑)。
──それはすごい(笑)。さて、この先の活動、ビジョンというと?
Y 目標は明確にあって、世界のトップDJになりたいと思ってます。この仕事をやっていく以上は。テクニックでは全然負けてないと思うんですけど、次は曲の方をもっと伸ばして。両方ある人って、世界中を探してもそんなにいないと思うんですよね。なので、二刀流で頑張っていきたいなと思っています。
──そこに、先ほど伺ったような「勝負事には負けられない」という気持ちが加わるわけですね。
Y そうですね。でもそれって結局、シーンが盛り上がることにつながってくると思うので。他の人を蹴落とすとかじゃなくて、みんなで一緒に世界を目指せたらなと思ってます。
撮影 長谷 英史
New Digital Single 「ZEN」
2019.10.2 OUT NOW
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- WRITTEN BY高崎計三
- 1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。