令和元年デビュー・鈴木瑛美子。デビューシングル制作秘話と礎となるルーツを語る。
高校1年生で「ゴスペル甲子園」に優勝し、『関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王No.1決定戦』やポテトチップスのCMでもその圧倒的な歌唱力で話題を呼んだ鈴木瑛美子が、ついにメジャーデビュー! デビュー曲「FLY MY WAY」とMVのこと、そしてその歌唱力の秘密についてなど、ガッチリお聞きしました!
令和元年は20歳でメジャーデビューという特別な年に
──5月で20歳になられたんですよね。自分が20歳になる時、元号が変わってるとは思わなかったでしょう?
鈴木 そうですね。少し前までは考えてもなかったですけど、4月ぐらいからは「ああ、自分の誕生日の時にはもう令和なのかぁ」って感じでした(笑)。
──20歳という節目を迎えて、何か考えたことはありますか?
鈴木 5月から元号が変わって、私の誕生日もあって、しかもただの誕生日じゃなくて20歳。で、デビューもする。……ひとつずつでも大きなことなのに、すべてが同時で…すごい事になりました(笑)。
──本当にいろんな意味で記念すべき年になったわけですよね。そのデビューなんですが、決まった時にはどういう気持ちでしたか?
鈴木 まだ、具体的に曲が決まっていたりしたわけではないので、その時は実感がわかないというか、「ちゃんとデビューするんだ」ということがどういうことかわからなくて…。でもその後、徐々に徐々にいろんなことが進んでいって、曲が完成した時の達成感だとか、その曲を初めて披露したコンベンション・ライブだったりとか……あとは最近、ライブで一般の方々にも聴いてもらえたりして。そういう中で反響があると実感も湧いてきた感じですね。
──なるほど。では今は……
鈴木 今はだいぶ意識が変わってきましたね。プレッシャーとか責任感とかも少しずつ感じています。
──でも、ここに至るまでにTV番組やCMといった段階もあったわけですよね。それぞれに反響もあったと思いますが、どう感じながら来られたんでしょう?
鈴木 「自分の知らない人から知られてる」っていうことを実感してたというのはあるので、「多くの人に聴いてもらえた」っていうことは嬉しかったです。でも高校生ということもあって、普段、特に意識するということはなかったですね。
“一番最初”に相応しい曲をと作った「FLY MY WAY」
──ところで、デビュー曲の「FLY MY WAY」なんですが、このデビューのために作られた曲ということですか?
鈴木 ハイ! デビューするということで、“一番最初”に相応しい曲を作りたいと思って作った曲です。今まで歌ってきた自分というのも活かして、新しい一歩を踏み出すっていう気持ちを込めて作りました。
──「FLY MY WAY」を聴き始めてまず感じたのは、曲調の抜けるような明るさでした。
鈴木 私はブラック・ミュージックが好きだから、そういうマイナー調のメロディーがよく浮かんじゃうんですよ。でも今回は最初だから明るい曲にした方がいいと思っていた時に、歌詞のストックを書き留めたりしているメモの中に、「FLY MY WAY」があったんです。自分のストックの中から、一番明るいものを選びました。
──レコーディングはどうでしたか?
鈴木 自分の理想とか、イメージしていたものを録音して、現実化していくっていうのはすごく新鮮でした。「こうしたい」っていう希望を一つずつ叶えてもらって、周りの人のアイデアも加わって、自分が想像していた以上のものが完成する過程が本当に新鮮で、人の曲を歌うのとはまた違った感覚でした。
──苦労した点は?
鈴木 レコーディングの時期は花粉が多くて(笑)、それが大変でした。思うように声が出なくて、ちょっと落ち着いた時期まで待ってもらいました。あと、フェイクは、、どこまでを決めたフレーズにして、どこを自由にやってというのを考えるのも、自分なりにちょっと苦労しました。
──曲が完成した時はどういう気持ちでしたか?
鈴木 「はい、これで完成です!」ってなった時の達成感が、すごかったです。2段階の達成感があったんですよ。作詞・作曲をしていて、1番からサビ、そして最後まで完成させた時が一つ。あとはアレンジも加わってマスタリングとかも終わって、全部ができた!っていう時の達成感と。
──なるほど。
鈴木 第1段階は、「ああ、できた……」という感じで、スポーツで勝ったような達成感だったんです。この時は歌詞を作りながら自分の中で勝負してて、「どう作るか」をすごく考えてたんですね。それで第2段階はもうホッとしてる感じというか、一つのライブが終わったぐらいの達成感があって。この時は成功させるためにどうするか考えていく期間で。その2つを、最初のゼロの状態から全部自分で作って考えたっていうのは、なかなかない経験でしたね。これが、これから何回も続いてやれるんだなと思ったら、もっといっぱい作りたいなと思いました。
──MVも公開されてますよね。あれはどこで撮影したんですか?
鈴木瑛美子 / FLY MY WAY
鈴木 アメリカのネヴァダ州の、バレー・オブ・ファイヤーっていう州立公園です。広大ですごいですよね(笑)。
──映像で見ていてもすごかったので、生で見たら……
鈴木 ホントにすごかったです! 何にもなくて(笑)。
──そっちですか(笑)。
鈴木 見渡す限り本当に何もないんですよ!(笑) 岩しかない!みたいな。山羊も2回見ました(笑)。
──それもいい経験でしたね(笑)。
鈴木 はい、アメリカに行ったのも初めてだったし、デビューシングルのMVで海外なんて考えてもいなかったので、あり得ないと思って。もう、よく分からないです。
──分からない?(笑)
鈴木 自分が想像してたスタートをはるかに超えたスケールと壮大さで……よく分からない(笑)。すごくありがたくて感謝しないといけないなって思ってます。
──実際、映像がすごく曲にマッチしてましたよね。
鈴木 はい、壮大さとか、広大な場所をイメージできるような曲が作れたっていうことも、また一つうれしかったことですね。
「音楽一家」の習慣はご近所迷惑!?
──また、カップリングの「Soul Full of Music」は出だしから「すごい!」と思わせますよね。しかも「FLY MY WAY」とはまたガラリと曲調が違うという。
鈴木 意識して最初にインパクトを出そうと思っていたら、あの歌い出しになったんです。デビューなので、とにかく多くの人に私というものを知ってもらうための自己紹介的な曲を作ろうと思ってできた曲でもあるし、「FLY MY WAY」もこの曲も合わせてデビュー曲なので、自分が今持っているテクニックとか、音域や表現、 今の自分を最大限に出したものを残したくて、そうすればこの先の自分の変化も見ることができるなと思ったんです。「FLY MY WAY」はすごい低い音から、最後のフェイクでは自分が出せる一番高い音までチャレンジして、「Soul Full of Music」の方は私が好きなビッグバンドのテイストのアレンジで。
──「今の鈴木瑛美子」の全てが詰め込まれているわけですね。現在「レパートリー」は何曲ぐらいあるんですか?
鈴木 200曲ぐらいですかね? 小さい頃から幅広くたくさんの音楽を聴いてきたので、歌える曲は相当多いと思います。200……もっとあるかな?
──それはすごい! 幅広く聴いてきたというのは、ご家族の影響ですよね?
鈴木 はい。いろんな曲を姉が聴いていて、その影響はすごく大きいですね。一時期ボカロにハマっていたり、別の時期は邦楽ロックにハマっていたりとか、そういうのを一周していて、その時その時で姉が聴いていた曲を私も聴いていたので、歌えるようになった曲もたくさんあります。もともとずーっと歌っているゴスペルは、父がゴスペル・ディレクターをしていて、幼い頃から家族で歌う環境があったので、それは軸としてあって。そこに姉の影響から興味を持ったアーティストを深く聴いたり、関連ジャンルを自分で調べたりして、広がっていった感じですね。
──そういった環境の中で歌の技術が伸びていったんだと思いますが、英才教育というか、小さい頃からレッスンやトレーニングを受けていたというわけではないんですよね?
鈴木 はい、そうではないですね。自分で研究するのが好きで、海外のソウルフルに歌うシンガーたちが、どうやって歌っているんだろう、どんな風に歌詞を表現しているんだろう、声の出し方、手の使い方、目線……そういうのをすごく研究して、自分で真似してみて、できたら自分のものにする。できなかったら、できるように歌い方を変えてみるとか、そういう感じでずっとやってきました。
──例えば先生がいれば、「この人みたいに歌うにはどうすればいいんですか?」って質問できますが、そういうわけではなかったんですね。
鈴木 はい。直接教えてくれるわけじゃないけど、いろんな歌い方をする先生が何十人もいるという感じです。それを自分らしく変えていくことでその人たちのいろんないいところを全部もらって、その上で新しいものを作るっていう考えなんです。一人の人に「こうしたらいい」と教わるよりも、「どうしたらいいだろうか」と自分で考える方が、歌とか音楽の世界が広がるんじゃないかなと思って、ずっと一人でやってきました。
──それはすごいですね!
鈴木 ソウルフルに歌う人たちが好きなので、声は枯らしてきたし、全然できなくて何ヵ月も練習していた歌い方とかもあるし、すぐにはできないこともいっぱいあったんですけど。「やってみたからできた」というか、できないかもしれないと思うようなすごい技術でも、一回歌ってみて「あ、今のちょっと惜しかったかも」と思って、何度も繰り返してできるようになったりとか、そんな感じです。
──なるほど~。家族で一緒に、歌のために何かするということってありましたか?
鈴木 家族で練習とかはないんですけど、家の中で誰かが歌ってたら加わるっていう習性はありました(笑)。いつでも歌える環境だったので、たぶんご近所迷惑だったと思います。道路を挟んだ向かい側の、さらに奥の家の方から「瑛美子ちゃんの声が聞こえてたから、いつも窓を開けてた」って言われたことがあって、そこまで聞こえてたみたいで(笑)。そんなご近所迷惑を皆さんは喜んでくださってたみたいで、それを聴いた時はうれしかったです。
──うまかったからですよね。そうじゃなかったら大変なことになったかも(笑)。
鈴木 家族の中ではすごく下手くそだったんですよ。
──そうなんですか。
鈴木 いつも音程がフラットしてたみたいで、家族で歌ってる時に「エミ、もっと上!」とか「下がってるよ!」とかよく言われてて、「ああ、私って下手なんだ」って思ってたんですよ。でも小学6年生の時にTVのものまね番組に出て、そこでジャクソン5の曲を歌ったんです。自分は小学生だったから、まだSNSとかもやってなかったんですけど、中学生だった姉がツイッターとかやっていて、「エミ、すごいことになってるよ!」って教えてくれて。「あ、周りの人たちはそう聴いてくれたんだ!」っていううれしさがそこで芽生えて。
──初めて反響があったわけですね。
鈴木 そこからはただ「歌が得意」というだけで、普段歌っていて…。それで高校1年生の時に「ゴスペル甲子園」っていうコンテストで優勝したんです。その時にたくさんの人に「上手だ」って言ってもらえて、「優勝」という形もあったので、自信がつき始めました。
鈴木瑛美子が伝授! 「歌がうまくなる方法」とは?
──先ほど「いろんなシンガーの歌い方を真似して研究する」という話をされていましたが、それはいつ頃からやっていたんですか?
鈴木 ものまねの番組に出るぐらいものまねが好きだったので、「チーター・ガールズ」っていう、アメリカのドラマから生まれたボーカルグループがいたんですけど、そのメンバーそれぞれの歌い方を真似するというのを、幼稚園の頃からやってましたね。
──それは年季が入ってますね! 「歌がうまくなりたいんですけど、どうしたらいいですか?」っていう質問を受けることもあると思うんですが、そんな時はどう答えてますか?
鈴木 私なりのアドバイスとして「歌がうまい人の音楽を聴きましょう」って言ってます。まずは真似から入ってみれば、「できた!」と思う瞬間があると思うので。だからまずはうまい人の真似をしましょうと。でも、「この人だけ」って真似してると「その人っぽく」なっちゃうから、自分なりにということも考えながら…をおすすめしています。
──鈴木さんの評価を決定的なものにしたのが、『関ジャニ∞のThe モーツァルト 音楽王No.1決定戦』でした。あの時はどうやって練習したんですか?
鈴木 ひたすらカラオケに通ってました。私、カラオケもあまり得意じゃなかったんです。年に1回、家族旅行の時にカラオケ大会をやってたんですけど、機械の点数で最下位になることが多くて。だいたい姉が1位で、私は最下位。番組のための練習はバレーボール部の部活が終わってからとか、間を縫って通ってましたね。それと、課題曲を覚えていかないといけないんですね。でも私は洋楽ばかり聴いていたので、知らない曲ばかりで。だからまず曲を覚えるところから始めて、点数も上げなきゃいけない、でも自分らしさも捨てたくない。それをすっごく試行錯誤しながら練習してました。
──どれぐらいの頻度で行ってたんですか?
鈴木 週に3~4回ですかね。でも、部活終わりのことが多かったから、すごくキツかったんですよ! 声をさんざん出して、動いて、すごく疲れてるんですけど、曲を覚えなきゃいけなくて。カラオケ屋さんに着いて少し寝てから練習してたこともありましたね。部活と並行するのはキツかったなぁ~!
──そんな努力もあったからこそ今があるわけですよね。今も話に出たように、ここまででもいろんな経験をされてきたわけですが、その中で個人的に、一番大きいと思う経験はどれですか?
鈴木 大きいというか、自分の中ですごく影響のあった出来事なんですけど……東京国際フォーラムホールAでの「FINAL FANTASY 30th 記念コンサート」で、新日本フィルハーモニー交響楽団をバックに歌ったことですね(2017年12月)。ゲームのファンの方々がたくさん聴きに来てくださっていて、しかも私が歌ったのは新作ゲームの主題歌だったので、その曲を知らない方もたくさんいたんです。私のことも知らない人がたくさんいるという環境で歌って、歌い終わった瞬間にすごい量の拍手と、すごい歓声をいただいて。その感覚が、今も鮮明に感じ取れるぐらい気持ちよかったですね。
──メジャーデビューも果たして、これからもっともっと、そういう経験をしていきたいですよね。どこまで行きたいですか?
鈴木 最終的には世界でも「鈴木瑛美子」を知られるような存在になりたいと思ってます。でも、今はまず日本の中で私の音楽というものを聴いていただいて、そのあとに日本の音楽を大事にしながら海外で勝負できる人になりたいと思ってます。
──今回のデビュー曲は、まさにその第一歩ですね。夢の実現を楽しみにしています!
撮影 長谷 英史
FLY MY WAY / Soul Full of Music
2019.08.28 release
CD+DVD
AVCD-94558/B ¥1,667(税抜)
CD
AVCD-94559 ¥926(税抜)
BUY NOW
【鈴木瑛美子 OFFICIAL WEBSITE】
https://avex.jp/suzukiemiko/
■公式SNS
鈴木瑛美子公式Twitter:https://twitter.com/emikosuzukidesu
鈴木瑛美子公式Instagram:https://www.instagram.com/emikosuzukidesu/
鈴木瑛美子公式Facebook:https://www.facebook.com/emikosuzukidesu/
令和元年は20歳でメジャーデビューという特別な年に
──5月で20歳になられたんですよね。自分が20歳になる時、元号が変わってるとは思わなかったでしょう?
鈴木 そうですね。少し前までは考えてもなかったですけど、4月ぐらいからは「ああ、自分の誕生日の時にはもう令和なのかぁ」って感じでした(笑)。
──20歳という節目を迎えて、何か考えたことはありますか?
鈴木 5月から元号が変わって、私の誕生日もあって、しかもただの誕生日じゃなくて20歳。で、デビューもする。……ひとつずつでも大きなことなのに、すべてが同時で…すごい事になりました(笑)。
──本当にいろんな意味で記念すべき年になったわけですよね。そのデビューなんですが、決まった時にはどういう気持ちでしたか?
鈴木 まだ、具体的に曲が決まっていたりしたわけではないので、その時は実感がわかないというか、「ちゃんとデビューするんだ」ということがどういうことかわからなくて…。でもその後、徐々に徐々にいろんなことが進んでいって、曲が完成した時の達成感だとか、その曲を初めて披露したコンベンション・ライブだったりとか……あとは最近、ライブで一般の方々にも聴いてもらえたりして。そういう中で反響があると実感も湧いてきた感じですね。
──なるほど。では今は……
鈴木 今はだいぶ意識が変わってきましたね。プレッシャーとか責任感とかも少しずつ感じています。
──でも、ここに至るまでにTV番組やCMといった段階もあったわけですよね。それぞれに反響もあったと思いますが、どう感じながら来られたんでしょう?
鈴木 「自分の知らない人から知られてる」っていうことを実感してたというのはあるので、「多くの人に聴いてもらえた」っていうことは嬉しかったです。でも高校生ということもあって、普段、特に意識するということはなかったですね。
“一番最初”に相応しい曲をと作った「FLY MY WAY」
──ところで、デビュー曲の「FLY MY WAY」なんですが、このデビューのために作られた曲ということですか?
鈴木 ハイ! デビューするということで、“一番最初”に相応しい曲を作りたいと思って作った曲です。今まで歌ってきた自分というのも活かして、新しい一歩を踏み出すっていう気持ちを込めて作りました。
──「FLY MY WAY」を聴き始めてまず感じたのは、曲調の抜けるような明るさでした。
鈴木 私はブラック・ミュージックが好きだから、そういうマイナー調のメロディーがよく浮かんじゃうんですよ。でも今回は最初だから明るい曲にした方がいいと思っていた時に、歌詞のストックを書き留めたりしているメモの中に、「FLY MY WAY」があったんです。自分のストックの中から、一番明るいものを選びました。
──レコーディングはどうでしたか?
鈴木 自分の理想とか、イメージしていたものを録音して、現実化していくっていうのはすごく新鮮でした。「こうしたい」っていう希望を一つずつ叶えてもらって、周りの人のアイデアも加わって、自分が想像していた以上のものが完成する過程が本当に新鮮で、人の曲を歌うのとはまた違った感覚でした。
──苦労した点は?
鈴木 レコーディングの時期は花粉が多くて(笑)、それが大変でした。思うように声が出なくて、ちょっと落ち着いた時期まで待ってもらいました。あと、フェイクは、、どこまでを決めたフレーズにして、どこを自由にやってというのを考えるのも、自分なりにちょっと苦労しました。
──曲が完成した時はどういう気持ちでしたか?
鈴木 「はい、これで完成です!」ってなった時の達成感が、すごかったです。2段階の達成感があったんですよ。作詞・作曲をしていて、1番からサビ、そして最後まで完成させた時が一つ。あとはアレンジも加わってマスタリングとかも終わって、全部ができた!っていう時の達成感と。
──なるほど。
鈴木 第1段階は、「ああ、できた……」という感じで、スポーツで勝ったような達成感だったんです。この時は歌詞を作りながら自分の中で勝負してて、「どう作るか」をすごく考えてたんですね。それで第2段階はもうホッとしてる感じというか、一つのライブが終わったぐらいの達成感があって。この時は成功させるためにどうするか考えていく期間で。その2つを、最初のゼロの状態から全部自分で作って考えたっていうのは、なかなかない経験でしたね。これが、これから何回も続いてやれるんだなと思ったら、もっといっぱい作りたいなと思いました。
──MVも公開されてますよね。あれはどこで撮影したんですか?
鈴木瑛美子 / FLY MY WAY
鈴木 アメリカのネヴァダ州の、バレー・オブ・ファイヤーっていう州立公園です。広大ですごいですよね(笑)。
──映像で見ていてもすごかったので、生で見たら……
鈴木 ホントにすごかったです! 何にもなくて(笑)。
──そっちですか(笑)。
鈴木 見渡す限り本当に何もないんですよ!(笑) 岩しかない!みたいな。山羊も2回見ました(笑)。
──それもいい経験でしたね(笑)。
鈴木 はい、アメリカに行ったのも初めてだったし、デビューシングルのMVで海外なんて考えてもいなかったので、あり得ないと思って。もう、よく分からないです。
──分からない?(笑)
鈴木 自分が想像してたスタートをはるかに超えたスケールと壮大さで……よく分からない(笑)。すごくありがたくて感謝しないといけないなって思ってます。
──実際、映像がすごく曲にマッチしてましたよね。
鈴木 はい、壮大さとか、広大な場所をイメージできるような曲が作れたっていうことも、また一つうれしかったことですね。
「音楽一家」の習慣はご近所迷惑!?
──また、カップリングの「Soul Full of Music」は出だしから「すごい!」と思わせますよね。しかも「FLY MY WAY」とはまたガラリと曲調が違うという。
鈴木 意識して最初にインパクトを出そうと思っていたら、あの歌い出しになったんです。デビューなので、とにかく多くの人に私というものを知ってもらうための自己紹介的な曲を作ろうと思ってできた曲でもあるし、「FLY MY WAY」もこの曲も合わせてデビュー曲なので、自分が今持っているテクニックとか、音域や表現、 今の自分を最大限に出したものを残したくて、そうすればこの先の自分の変化も見ることができるなと思ったんです。「FLY MY WAY」はすごい低い音から、最後のフェイクでは自分が出せる一番高い音までチャレンジして、「Soul Full of Music」の方は私が好きなビッグバンドのテイストのアレンジで。
──「今の鈴木瑛美子」の全てが詰め込まれているわけですね。現在「レパートリー」は何曲ぐらいあるんですか?
鈴木 200曲ぐらいですかね? 小さい頃から幅広くたくさんの音楽を聴いてきたので、歌える曲は相当多いと思います。200……もっとあるかな?
──それはすごい! 幅広く聴いてきたというのは、ご家族の影響ですよね?
鈴木 はい。いろんな曲を姉が聴いていて、その影響はすごく大きいですね。一時期ボカロにハマっていたり、別の時期は邦楽ロックにハマっていたりとか、そういうのを一周していて、その時その時で姉が聴いていた曲を私も聴いていたので、歌えるようになった曲もたくさんあります。もともとずーっと歌っているゴスペルは、父がゴスペル・ディレクターをしていて、幼い頃から家族で歌う環境があったので、それは軸としてあって。そこに姉の影響から興味を持ったアーティストを深く聴いたり、関連ジャンルを自分で調べたりして、広がっていった感じですね。
──そういった環境の中で歌の技術が伸びていったんだと思いますが、英才教育というか、小さい頃からレッスンやトレーニングを受けていたというわけではないんですよね?
鈴木 はい、そうではないですね。自分で研究するのが好きで、海外のソウルフルに歌うシンガーたちが、どうやって歌っているんだろう、どんな風に歌詞を表現しているんだろう、声の出し方、手の使い方、目線……そういうのをすごく研究して、自分で真似してみて、できたら自分のものにする。できなかったら、できるように歌い方を変えてみるとか、そういう感じでずっとやってきました。
──例えば先生がいれば、「この人みたいに歌うにはどうすればいいんですか?」って質問できますが、そういうわけではなかったんですね。
鈴木 はい。直接教えてくれるわけじゃないけど、いろんな歌い方をする先生が何十人もいるという感じです。それを自分らしく変えていくことでその人たちのいろんないいところを全部もらって、その上で新しいものを作るっていう考えなんです。一人の人に「こうしたらいい」と教わるよりも、「どうしたらいいだろうか」と自分で考える方が、歌とか音楽の世界が広がるんじゃないかなと思って、ずっと一人でやってきました。
──それはすごいですね!
鈴木 ソウルフルに歌う人たちが好きなので、声は枯らしてきたし、全然できなくて何ヵ月も練習していた歌い方とかもあるし、すぐにはできないこともいっぱいあったんですけど。「やってみたからできた」というか、できないかもしれないと思うようなすごい技術でも、一回歌ってみて「あ、今のちょっと惜しかったかも」と思って、何度も繰り返してできるようになったりとか、そんな感じです。
──なるほど~。家族で一緒に、歌のために何かするということってありましたか?
鈴木 家族で練習とかはないんですけど、家の中で誰かが歌ってたら加わるっていう習性はありました(笑)。いつでも歌える環境だったので、たぶんご近所迷惑だったと思います。道路を挟んだ向かい側の、さらに奥の家の方から「瑛美子ちゃんの声が聞こえてたから、いつも窓を開けてた」って言われたことがあって、そこまで聞こえてたみたいで(笑)。そんなご近所迷惑を皆さんは喜んでくださってたみたいで、それを聴いた時はうれしかったです。
──うまかったからですよね。そうじゃなかったら大変なことになったかも(笑)。
鈴木 家族の中ではすごく下手くそだったんですよ。
──そうなんですか。
鈴木 いつも音程がフラットしてたみたいで、家族で歌ってる時に「エミ、もっと上!」とか「下がってるよ!」とかよく言われてて、「ああ、私って下手なんだ」って思ってたんですよ。でも小学6年生の時にTVのものまね番組に出て、そこでジャクソン5の曲を歌ったんです。自分は小学生だったから、まだSNSとかもやってなかったんですけど、中学生だった姉がツイッターとかやっていて、「エミ、すごいことになってるよ!」って教えてくれて。「あ、周りの人たちはそう聴いてくれたんだ!」っていううれしさがそこで芽生えて。
──初めて反響があったわけですね。
鈴木 そこからはただ「歌が得意」というだけで、普段歌っていて…。それで高校1年生の時に「ゴスペル甲子園」っていうコンテストで優勝したんです。その時にたくさんの人に「上手だ」って言ってもらえて、「優勝」という形もあったので、自信がつき始めました。
鈴木瑛美子が伝授! 「歌がうまくなる方法」とは?
──先ほど「いろんなシンガーの歌い方を真似して研究する」という話をされていましたが、それはいつ頃からやっていたんですか?
鈴木 ものまねの番組に出るぐらいものまねが好きだったので、「チーター・ガールズ」っていう、アメリカのドラマから生まれたボーカルグループがいたんですけど、そのメンバーそれぞれの歌い方を真似するというのを、幼稚園の頃からやってましたね。
──それは年季が入ってますね! 「歌がうまくなりたいんですけど、どうしたらいいですか?」っていう質問を受けることもあると思うんですが、そんな時はどう答えてますか?
鈴木 私なりのアドバイスとして「歌がうまい人の音楽を聴きましょう」って言ってます。まずは真似から入ってみれば、「できた!」と思う瞬間があると思うので。だからまずはうまい人の真似をしましょうと。でも、「この人だけ」って真似してると「その人っぽく」なっちゃうから、自分なりにということも考えながら…をおすすめしています。
──鈴木さんの評価を決定的なものにしたのが、『関ジャニ∞のThe モーツァルト 音楽王No.1決定戦』でした。あの時はどうやって練習したんですか?
鈴木 ひたすらカラオケに通ってました。私、カラオケもあまり得意じゃなかったんです。年に1回、家族旅行の時にカラオケ大会をやってたんですけど、機械の点数で最下位になることが多くて。だいたい姉が1位で、私は最下位。番組のための練習はバレーボール部の部活が終わってからとか、間を縫って通ってましたね。それと、課題曲を覚えていかないといけないんですね。でも私は洋楽ばかり聴いていたので、知らない曲ばかりで。だからまず曲を覚えるところから始めて、点数も上げなきゃいけない、でも自分らしさも捨てたくない。それをすっごく試行錯誤しながら練習してました。
──どれぐらいの頻度で行ってたんですか?
鈴木 週に3~4回ですかね。でも、部活終わりのことが多かったから、すごくキツかったんですよ! 声をさんざん出して、動いて、すごく疲れてるんですけど、曲を覚えなきゃいけなくて。カラオケ屋さんに着いて少し寝てから練習してたこともありましたね。部活と並行するのはキツかったなぁ~!
──そんな努力もあったからこそ今があるわけですよね。今も話に出たように、ここまででもいろんな経験をされてきたわけですが、その中で個人的に、一番大きいと思う経験はどれですか?
鈴木 大きいというか、自分の中ですごく影響のあった出来事なんですけど……東京国際フォーラムホールAでの「FINAL FANTASY 30th 記念コンサート」で、新日本フィルハーモニー交響楽団をバックに歌ったことですね(2017年12月)。ゲームのファンの方々がたくさん聴きに来てくださっていて、しかも私が歌ったのは新作ゲームの主題歌だったので、その曲を知らない方もたくさんいたんです。私のことも知らない人がたくさんいるという環境で歌って、歌い終わった瞬間にすごい量の拍手と、すごい歓声をいただいて。その感覚が、今も鮮明に感じ取れるぐらい気持ちよかったですね。
──メジャーデビューも果たして、これからもっともっと、そういう経験をしていきたいですよね。どこまで行きたいですか?
鈴木 最終的には世界でも「鈴木瑛美子」を知られるような存在になりたいと思ってます。でも、今はまず日本の中で私の音楽というものを聴いていただいて、そのあとに日本の音楽を大事にしながら海外で勝負できる人になりたいと思ってます。
──今回のデビュー曲は、まさにその第一歩ですね。夢の実現を楽しみにしています!
撮影 長谷 英史
FLY MY WAY / Soul Full of Music
2019.08.28 release
CD+DVD
AVCD-94558/B ¥1,667(税抜)
CD
AVCD-94559 ¥926(税抜)
BUY NOW
【鈴木瑛美子 OFFICIAL WEBSITE】
https://avex.jp/suzukiemiko/
■公式SNS
鈴木瑛美子公式Twitter:https://twitter.com/emikosuzukidesu
鈴木瑛美子公式Instagram:https://www.instagram.com/emikosuzukidesu/
鈴木瑛美子公式Facebook:https://www.facebook.com/emikosuzukidesu/
- WRITTEN BY高崎計三
- 1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。