“globe” 20周年 小室哲哉インタビュー “globe”の現在、過去、未来、小室哲哉の捉える時代感
6月某日、コラム編集部が「えも言われぬ」嬉々としたムードに湧いた。
エイベックスの創成期を共に作った超大物アーティストへのインタビューが決まったのだ。
そのアーティストとは、“globe”の小室哲哉。
まさに90年代の音楽シーンを自身制作したダンスミュージックで彩った人物だ。
1995/8/9に「Feel Like dance」でデビューした“globe”。時代を作った小室哲哉は当時何を想い、何を考えていたのか。そして、今“globe”としてどんな活動をし、どんなメッセージを伝えようとしているのか。
今回のCOLUMNは敢えて「avex potal COLUMNの個性」である面白さの要素を一切捨てて(笑)、正面から小室哲哉氏と向き合うことを決意し、インタビューの日を迎えることとなりました。
果たして、COLUMN編集部は小室哲哉の想いを余すことなく引き出せたのか。
“globe”のデビューは使命感とプレッシャーに満ちていた!?
あ
-本日は宜しくお願いします。
小室哲哉)こちらこそ、宜しくお願いします。
-早速ですが、“globe”のデビュー20年直前、色々な活動を予定されていると思いますが、20周年の活動に対してどのような想いをお持ちでしょうか。
小室)色々あって、3名揃って元気で20周年を迎えられないことは「残念」だと思っていて、ファンの方には申し訳ない気持ちがあります。
だから、KEIKOが休んでいる今、MARCと僕で出来る限りの活動をしてファンの皆さんに返してゆこうと思っています。
-フジテレビ『FNSうたの夏まつり』にて久しぶりに3名体制でパフォーマンスをされていましたね。Twitter等では「生で見られて嬉しい」という反応があったようですが、小室さん御自身はどういう想いでいらっしゃいましたか。
小室)今回KEIKOの代わりに歌ってくれた3人には感謝しています。「代役」というプレッシャーがあると思いますしね。また、ファンの方に嬉しかったと言っていただけたのも、彼女達のおかげですから。
もちろん、その一方で「早くKEIKOさんの声を聞きたい」というファンもいらっしゃったので、“globe”という響きを忘れないように、ファンの人が残念がらないパフォーマンスを行いたいと考えています。
-今から20年前、1995年の“globe”デビュー時は、どのような意気込みで望まれたのでしょうか?
小室)実は「責任感」や「使命感」が大きかったんです。
“TRF”や“篠原涼子さん”、”H Jungle with t”とか色んなプロデュースでヒットしていた「小室の出すアーティスト」として、コケたら大変だ。そんな状況でしたから。
「売れなきゃいけない」し、「売れるのも分かっていた」ので、聴いた方に「なんだよ。これ。」と思われてしまうギャップがないようにしなければならない。そんなプレッシャーがありました。エイベックスにも同じようなプレッシャーがあったと想像しています。
MARCとKEIKOはド新人でしたからね(笑)でも、大舞台で緊張することも出来ませんし、僕と同じアーティストでないといけないという…。
-“globe”にとって初めてのライヴが1995年の『avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP(※1)』。MARCさん、KEIKOさんは経験したことない巨大なステージに立ったわけですよね。
小室)2人にはスゴいアンダープレッシャーだったと思いますよ。普通のアーティストだったら、階段を昇ってゆくことが出来たんですけどね。
そうそう。あの時はレインボーブリッジには見物でたくさんの車が停まっていて、夜になるにつれてライティングが映えていって印象的でしたね。今でも忘れられないです。
※1
1995/8/19に大阪万博記念公園、26日に東京ベイサイドスクエアにて行われたライヴイベント。小室哲哉がオーガナイザーを務め、のべ6万人を動員したa-nationの前身とされるライヴイベント。
“globe”は3人体制の「バンド」だった!?
-“globe”の活動で最も心に残るエピソードは何でしたか。
小室)やはり、1stアルバム『globe』の制作ですかね。プレッシャーだけでなく、時間もないレコーディングだったので崖っぷちでした。合宿で制作していて、2人といる中で歌詞を書きながら、2人はすぐに練習してもらって、レコーディングという状況でした。バンドみたいでしたね。
-2ndアルバム『FACES PLACES』はロスでのレコーディングでしたよね。
小室)そうです。でも、やはり同じように僕がピアノを弾いている横に2人がいて聴きながら、僕が口ずさむ音にMARCがラップを書いて、KEIKOが歌詞を覚えて…。やっぱりバンドみたいでした。
3rdアルバム『Love again』でやっと制作が落ち着いたかな(笑)間にアーティストとしては初めての4大ドームツアーなんかもありましたからね。
-“globe”が始まるまでは「プロデュース」が多かったわけですが、“globe”は一緒に制作するバンドの感覚だったのでしょうか。
小室)そうですね。正直、一番落ち着く場所は“globe”でした。「プロデュース」するものは僕に任せていただいている。そういう捉え方をして制作をしていました。
当時、“globe”を「ユニット」と捉える方も多かったんですけど、僕は一緒に作ってゆく”バンド”という感覚だったと思いますね。
小室哲哉が見る20年の月日とその移り変わり
-1995年というとポケベルが流行した年なのですが、小室さんはポケベルをお持ちでしたか。
小室)僕は持っていなかったよ(笑)車に電話が付いていたからね。ただ、95年ぐらいを境に女子中高生のコミュニケーションが一気に変わったなという印象を持ちました。
-ポケベルという新たなツールがもたらしたコミュニケーションでしょうか。
小室)当時だとカラオケやプリクラなんかも出来ましたよね。個々人にコミュニケーションツールが出来たことで新しい楽しみ、遊びが増えたんじゃないかなぁ。
-私が思いっきりその世代で、まずポケベルで予定を決めてカラオケに行って、その日の記念にプリクラを撮る。そんな遊び方でした。
小室)たぶん、今もそういうコミュニケーションの基本は変わっていなくて、ツールが進化しただけだと思うんです。友人同士のコミュニティー、「群れ」と言ってもいいのかな。どう良い集団を作るのか。
まぁ問題になったりもしているけど、LINEのグループチャットなんかも基本は同じだと思います。だから、”globe”でも、その子達を主人公に歌詞を書いていました。
いま、この業界でも女性が活躍しているじゃないですか。それって、あの頃に中高生だったパワフルな子達が培ったからなんじゃないかなと塑像しています。
-95年当時にTwitterや755のようなツールが出てくるというような想像はされていましたか。
小室)その当時は想像出来ませんでした。ただ、95年に初めて楽曲を配信した時に『AWA(※2)』のようなサブスクリプションサービスが出来るだろうなと想像していました。
「ヒット曲を持っている人がそういうサービスでは強いだろうな」と思って、ヒット曲をいっぱい作ってやろうと思っていましたよ(笑)
-現在だと様々なコミュニケーションツールがあり、YouTubeやサブスクリプションサービスで楽曲を聴くことが出来ますが、当時と今で伝えているメッセージは変わりましたか。
小室)先程お話したように「群れ」として集うことは楽しいと思いますが、その反面で孤独になってしまうことはあるという警鐘を鳴らしていました。その時にへこたれてしまわないような女性を描く形で表現していたかな。
実はそれはちょっと社会性が増えてはいるけど、今も変わっていないですね。
-サブスクリプションサービス等の配信ツールに関しては、どう思われますか。
小室)アーティストに還元されづらい状況にはなっているかもしれない。カッコ良かったり、良い楽曲を作る新人には厳しいだろうし、彼らがやって行きたいものも実現出来なくなるからね。だから、ファンがアーティストをサポートする気持ちが付いてくれると良いのかなと覆います。
-よく聞かれていると思いますが、『AWA』はいかがでしょうか。
小室)『AWA』は開いた瞬間にプレイリストでリコメンドしていますよね。今後は「プロのプレイリスター」が出てきて、その人にピックアップされることが重要になってくるでしょう。
ラジオのディスクジョッキーからのリコメンド、「ヘビーローテーション」とか「パワープレイ」とかの感じに似ていますね。そうやって、良い楽曲やアーティストが見つかると良いなと思っています。
今DJをする人が多いですけど、もっと昔にカセットテープに曲を入れるのが上手い人がいましたよね。A面B面バランス良く入れる人。そういう人が音楽の世界を牽引するんじゃないかな。
-凄く面白い分析だと思います。
小室)でも、僕はもう一つ先の事を提言しているんです。
-えっ!? ぜひ聞かせて下さい。
※2
エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社と株式会社サイバーエージェントが運営する「登録無しですぐに使える公式音楽配信アプリ」
【AWA 公式サイト】
http://awa.fm/
小室哲哉の描く未来の音楽
-サブスクリプションサービスのその先とは一体どのようなものでしょうか。
小室)それはiTunesでいう「コネクト」に近いイメージです。先程、サポートしていただくことも重要だと話しましたが、楽曲を聴くだけで終わるのではなくて「アーティストルーム」というところまで誘導して、チケットやグッズ等を購入出来るようなロードマップが必要だと思います。
-ユーザーがサポートしやすい環境を作るということですね。
小室)エイベックスの「mu-mo」に近いですね。CDだけでなくて、チケットもグッズも購入が出来る。そういう意味で「mu-mo」は先見性に優れているなぁと思いましたよ(笑)
良いなと思った1フレーズからチケットやグッズを買っていただける環境になると、アーティストとしては嬉しいですよね。
-最後に“globe”としての今後の活動を言える所まで教えていただけますか。
小室)最初お話したようにMARCと僕の2人で出来ること、クラブイベントでもいいし、ライヴでもいいし、“globe”の響きを忘れないような活動してゆきますよ。
ロンドンでレコーディングもしていますし、“globe”としてエッジの効いたバンドが出来たらやってみたいですよね。
-具体的には…。
小室)この記事出るのはいつかな。
-8月5日です。
小室)じゃあ、残念ながら、まだ話せないね(一同爆笑)。もう少ししたら決まっている活動を発表します。期待して待っていてもらえると嬉しいなぁ。
“globe”のことだけでなく、今後の音楽シーンの展望まで1時間に及ぶインタビューに応じてくれた小室哲哉氏。
“globe”のファンだけでなく、音楽ファンに向けられたメッセージを皆さんどう受け取られましたか。
期待されるデビュー20周年プロジェクトの第1弾、セルフリプロダクトアルバム『Remode 1』本日がリリース!!
「FREEDOM」や「Love again」等、全20曲を収録した珠玉のアルバムは“globe”ファン、音楽ファン必聴の1枚。
『Remode 1』を聴きながら、発表を待て!!
【globe Official Website】
http://avex.jp/globe/
【小室哲哉SNS】
Twitter: https://twitter.com/Tetsuya_Komuro
Facebook: https://www.facebook.com/TetsuyaKomuro.Official
755: http://goo.gl/DEosbW
エイベックスの創成期を共に作った超大物アーティストへのインタビューが決まったのだ。
そのアーティストとは、“globe”の小室哲哉。
まさに90年代の音楽シーンを自身制作したダンスミュージックで彩った人物だ。
1995/8/9に「Feel Like dance」でデビューした“globe”。時代を作った小室哲哉は当時何を想い、何を考えていたのか。そして、今“globe”としてどんな活動をし、どんなメッセージを伝えようとしているのか。
今回のCOLUMNは敢えて「avex potal COLUMNの個性」である面白さの要素を一切捨てて(笑)、正面から小室哲哉氏と向き合うことを決意し、インタビューの日を迎えることとなりました。
果たして、COLUMN編集部は小室哲哉の想いを余すことなく引き出せたのか。
“globe”のデビューは使命感とプレッシャーに満ちていた!?
あ
-本日は宜しくお願いします。
小室哲哉)こちらこそ、宜しくお願いします。
-早速ですが、“globe”のデビュー20年直前、色々な活動を予定されていると思いますが、20周年の活動に対してどのような想いをお持ちでしょうか。
小室)色々あって、3名揃って元気で20周年を迎えられないことは「残念」だと思っていて、ファンの方には申し訳ない気持ちがあります。
だから、KEIKOが休んでいる今、MARCと僕で出来る限りの活動をしてファンの皆さんに返してゆこうと思っています。
-フジテレビ『FNSうたの夏まつり』にて久しぶりに3名体制でパフォーマンスをされていましたね。Twitter等では「生で見られて嬉しい」という反応があったようですが、小室さん御自身はどういう想いでいらっしゃいましたか。
小室)今回KEIKOの代わりに歌ってくれた3人には感謝しています。「代役」というプレッシャーがあると思いますしね。また、ファンの方に嬉しかったと言っていただけたのも、彼女達のおかげですから。
もちろん、その一方で「早くKEIKOさんの声を聞きたい」というファンもいらっしゃったので、“globe”という響きを忘れないように、ファンの人が残念がらないパフォーマンスを行いたいと考えています。
-今から20年前、1995年の“globe”デビュー時は、どのような意気込みで望まれたのでしょうか?
小室)実は「責任感」や「使命感」が大きかったんです。
“TRF”や“篠原涼子さん”、”H Jungle with t”とか色んなプロデュースでヒットしていた「小室の出すアーティスト」として、コケたら大変だ。そんな状況でしたから。
「売れなきゃいけない」し、「売れるのも分かっていた」ので、聴いた方に「なんだよ。これ。」と思われてしまうギャップがないようにしなければならない。そんなプレッシャーがありました。エイベックスにも同じようなプレッシャーがあったと想像しています。
MARCとKEIKOはド新人でしたからね(笑)でも、大舞台で緊張することも出来ませんし、僕と同じアーティストでないといけないという…。
-“globe”にとって初めてのライヴが1995年の『avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP(※1)』。MARCさん、KEIKOさんは経験したことない巨大なステージに立ったわけですよね。
小室)2人にはスゴいアンダープレッシャーだったと思いますよ。普通のアーティストだったら、階段を昇ってゆくことが出来たんですけどね。
そうそう。あの時はレインボーブリッジには見物でたくさんの車が停まっていて、夜になるにつれてライティングが映えていって印象的でしたね。今でも忘れられないです。
※1
1995/8/19に大阪万博記念公園、26日に東京ベイサイドスクエアにて行われたライヴイベント。小室哲哉がオーガナイザーを務め、のべ6万人を動員したa-nationの前身とされるライヴイベント。
“globe”は3人体制の「バンド」だった!?
-“globe”の活動で最も心に残るエピソードは何でしたか。
小室)やはり、1stアルバム『globe』の制作ですかね。プレッシャーだけでなく、時間もないレコーディングだったので崖っぷちでした。合宿で制作していて、2人といる中で歌詞を書きながら、2人はすぐに練習してもらって、レコーディングという状況でした。バンドみたいでしたね。
-2ndアルバム『FACES PLACES』はロスでのレコーディングでしたよね。
小室)そうです。でも、やはり同じように僕がピアノを弾いている横に2人がいて聴きながら、僕が口ずさむ音にMARCがラップを書いて、KEIKOが歌詞を覚えて…。やっぱりバンドみたいでした。
3rdアルバム『Love again』でやっと制作が落ち着いたかな(笑)間にアーティストとしては初めての4大ドームツアーなんかもありましたからね。
-“globe”が始まるまでは「プロデュース」が多かったわけですが、“globe”は一緒に制作するバンドの感覚だったのでしょうか。
小室)そうですね。正直、一番落ち着く場所は“globe”でした。「プロデュース」するものは僕に任せていただいている。そういう捉え方をして制作をしていました。
当時、“globe”を「ユニット」と捉える方も多かったんですけど、僕は一緒に作ってゆく”バンド”という感覚だったと思いますね。
小室哲哉が見る20年の月日とその移り変わり
-1995年というとポケベルが流行した年なのですが、小室さんはポケベルをお持ちでしたか。
小室)僕は持っていなかったよ(笑)車に電話が付いていたからね。ただ、95年ぐらいを境に女子中高生のコミュニケーションが一気に変わったなという印象を持ちました。
-ポケベルという新たなツールがもたらしたコミュニケーションでしょうか。
小室)当時だとカラオケやプリクラなんかも出来ましたよね。個々人にコミュニケーションツールが出来たことで新しい楽しみ、遊びが増えたんじゃないかなぁ。
-私が思いっきりその世代で、まずポケベルで予定を決めてカラオケに行って、その日の記念にプリクラを撮る。そんな遊び方でした。
小室)たぶん、今もそういうコミュニケーションの基本は変わっていなくて、ツールが進化しただけだと思うんです。友人同士のコミュニティー、「群れ」と言ってもいいのかな。どう良い集団を作るのか。
まぁ問題になったりもしているけど、LINEのグループチャットなんかも基本は同じだと思います。だから、”globe”でも、その子達を主人公に歌詞を書いていました。
いま、この業界でも女性が活躍しているじゃないですか。それって、あの頃に中高生だったパワフルな子達が培ったからなんじゃないかなと塑像しています。
-95年当時にTwitterや755のようなツールが出てくるというような想像はされていましたか。
小室)その当時は想像出来ませんでした。ただ、95年に初めて楽曲を配信した時に『AWA(※2)』のようなサブスクリプションサービスが出来るだろうなと想像していました。
「ヒット曲を持っている人がそういうサービスでは強いだろうな」と思って、ヒット曲をいっぱい作ってやろうと思っていましたよ(笑)
-現在だと様々なコミュニケーションツールがあり、YouTubeやサブスクリプションサービスで楽曲を聴くことが出来ますが、当時と今で伝えているメッセージは変わりましたか。
小室)先程お話したように「群れ」として集うことは楽しいと思いますが、その反面で孤独になってしまうことはあるという警鐘を鳴らしていました。その時にへこたれてしまわないような女性を描く形で表現していたかな。
実はそれはちょっと社会性が増えてはいるけど、今も変わっていないですね。
-サブスクリプションサービス等の配信ツールに関しては、どう思われますか。
小室)アーティストに還元されづらい状況にはなっているかもしれない。カッコ良かったり、良い楽曲を作る新人には厳しいだろうし、彼らがやって行きたいものも実現出来なくなるからね。だから、ファンがアーティストをサポートする気持ちが付いてくれると良いのかなと覆います。
-よく聞かれていると思いますが、『AWA』はいかがでしょうか。
小室)『AWA』は開いた瞬間にプレイリストでリコメンドしていますよね。今後は「プロのプレイリスター」が出てきて、その人にピックアップされることが重要になってくるでしょう。
ラジオのディスクジョッキーからのリコメンド、「ヘビーローテーション」とか「パワープレイ」とかの感じに似ていますね。そうやって、良い楽曲やアーティストが見つかると良いなと思っています。
今DJをする人が多いですけど、もっと昔にカセットテープに曲を入れるのが上手い人がいましたよね。A面B面バランス良く入れる人。そういう人が音楽の世界を牽引するんじゃないかな。
-凄く面白い分析だと思います。
小室)でも、僕はもう一つ先の事を提言しているんです。
-えっ!? ぜひ聞かせて下さい。
※2
エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社と株式会社サイバーエージェントが運営する「登録無しですぐに使える公式音楽配信アプリ」
【AWA 公式サイト】
http://awa.fm/
小室哲哉の描く未来の音楽
-サブスクリプションサービスのその先とは一体どのようなものでしょうか。
小室)それはiTunesでいう「コネクト」に近いイメージです。先程、サポートしていただくことも重要だと話しましたが、楽曲を聴くだけで終わるのではなくて「アーティストルーム」というところまで誘導して、チケットやグッズ等を購入出来るようなロードマップが必要だと思います。
-ユーザーがサポートしやすい環境を作るということですね。
小室)エイベックスの「mu-mo」に近いですね。CDだけでなくて、チケットもグッズも購入が出来る。そういう意味で「mu-mo」は先見性に優れているなぁと思いましたよ(笑)
良いなと思った1フレーズからチケットやグッズを買っていただける環境になると、アーティストとしては嬉しいですよね。
-最後に“globe”としての今後の活動を言える所まで教えていただけますか。
小室)最初お話したようにMARCと僕の2人で出来ること、クラブイベントでもいいし、ライヴでもいいし、“globe”の響きを忘れないような活動してゆきますよ。
ロンドンでレコーディングもしていますし、“globe”としてエッジの効いたバンドが出来たらやってみたいですよね。
-具体的には…。
小室)この記事出るのはいつかな。
-8月5日です。
小室)じゃあ、残念ながら、まだ話せないね(一同爆笑)。もう少ししたら決まっている活動を発表します。期待して待っていてもらえると嬉しいなぁ。
“globe”のことだけでなく、今後の音楽シーンの展望まで1時間に及ぶインタビューに応じてくれた小室哲哉氏。
“globe”のファンだけでなく、音楽ファンに向けられたメッセージを皆さんどう受け取られましたか。
期待されるデビュー20周年プロジェクトの第1弾、セルフリプロダクトアルバム『Remode 1』本日がリリース!!
「FREEDOM」や「Love again」等、全20曲を収録した珠玉のアルバムは“globe”ファン、音楽ファン必聴の1枚。
『Remode 1』を聴きながら、発表を待て!!
撮影・名鹿祥史
【globe Official Website】
http://avex.jp/globe/
【小室哲哉SNS】
Twitter: https://twitter.com/Tetsuya_Komuro
Facebook: https://www.facebook.com/TetsuyaKomuro.Official
755: http://goo.gl/DEosbW
- WRITTEN BY雜賀 信之助(サイカ シンノスケ)
- プロデューサー。PRイベントや映像制作、キュレーションサイト『和食ラボ』等の運営・進行管理を担当。