【平成仮面ライダー20作品記念ベスト】載せきれなかった豪華対談大公開!
平成も終了! 20作を数えた「平成仮面ライダーシリーズ」も現在、絶賛放送中の「仮面ライダージオウ」で一区切りということで、主題歌を中心に収録した『平成仮面ライダー20作品記念ベスト』が5月1日に発売。
このブックレットで、平成ライダーシリーズに欠かせないプロデューサーの白倉伸一郎氏と、「仮面ライダーオフィシャルバンド」RIDER CHIPSを率い、数々の主題歌・挿入歌を演奏する野村義男氏の対談が実現!今回は、スペースの都合上ブックレットには載せきれなかった豪華対談を大公開しちゃいます!
RIDER CHIPS結成とコンサート開始のきっかけとは?
──いきなり私事で恐縮ですが、物心ついたのが「仮面ライダーX」の頃で、そこからずっと仮面ライダー・シリーズを見てきて、「仮面ライダーキバ」からは息子と一緒に見てきた世代なので、この対談にはかなり興奮しているんですが(笑)。
白倉 ありがとうございます。こういうのって、世代論的な話になりますよね。
野村 ライダーはずっとつながっているから、ライダーを通すとそれぞれの世代が浮き彫りになりますよね。僕なんかはバリバリの昭和ライダー世代だけど(笑)。
──そもそもこれまで、お二人の面識というのは?
白倉 ずいぶん前に、少し話したことがある程度ですよね。
野村 相当前なんですよ。僕はRIDER CHIPSでようやく仮面ライダーに絡むというか……“絡まる”ことができたので、そのあたりですね。最初はねえ、厳しい事を言われたんですよ、白倉さんとは別の方ですけど。
白倉 何だろう(笑)。
野村 そもそもフェルナンデスというギターのメーカーが、仮面ライダーのイラストが入ったピックを作ってたんです。今日はちゃんと持ってきましたよ!
──おお~!
野村 僕はその当時、フェルナンデスと契約してたんですけど、何でこんなのを作るのに僕を通さないんだ!と。僕はこの裏に、「少年仮面ライダー隊 野村義男」というネームを入れてほしかったんですよ。その話をしたら、「勝手に作るわけにはいかないから、東映さんに相談しよう」と。そのときに対応してくださったSさんという方にお願いしたら「えっ、野村さん、仮面ライダーとは関係ないですよね?」って!
白倉 その彼は当時、まだ部長にもなってなかったですけどね(笑)。
野村 「じゃあ関係あるようにしてください」って頼んだら、ちょうどライダーの30周年記念で音楽イベントを企画していたので、「仮面ライダーのバンドを作ってくれ」と。僕はピックが作りたいだけだったから、「ハイ!」って返事して、バンドのことはすっかり忘れてたんですよ。そしたら半年後ぐらいに「アレはどうなりました?」って電話がかかってきて。「ヤバい!」ってことで、知り合いのミュージシャンでライダー好きを探してみたら、これが意外にいっぱいいて。その中の2人と結成したのがRIDER CHIPSだったんです。2000年12月に「MASKED RIDER LIVE 2000」というコンサートが今は亡き新宿の厚生年金会館で開催されて、そこがお披露目の場になったんですよね。
白倉 今で言う「超英雄祭」の先駆けですよね。
野村 しかも客席には、自分でチケットを買って入ったm.c.A・Tがいて、(のちに、)「何で俺を呼ばないんだ!」的な事を言われましたね。で、コンサートも終わって僕らのバンドは終了のつもりだったんです。打ち上げも「楽しかったね!」という感じで盛り上がって、その夜はお開きになった……と思ってたんだけど、他のメンバーがさっきのSさんに「ライダーのバンド、まだ続けたいです!」って連絡してたんですよ。しかもバラバラに。それで、ズルズルと今日まで(笑)。
白倉 へえ~! それがまさか今日まで連綿と続くとはね。
野村 今や、毎年毎年楽しみにしてる自分たちがいますからね。今は毎年1月下旬に開催なので、正月過ぎたら「今年もまた!」ってワクワクしてますから。今はスーパー戦隊も一緒だし。逆に、あの時どうして「もう終わり!」って思ってたのか分からないぐらい(笑)。
白倉 そこでやりきったんでしょうね。
野村 感無量ではあったんですよ。子供の頃から大好きだった曲を、公式のお墨付きで演奏できて。でも、「1回じゃイヤだな」って思っちゃったんですね。
ライブイベント誕生も、プロデューサーの頭には「?」マークが……!?
──そのあたりの、結成の経緯には白倉さんは関わっては……
白倉 全然知らなかったです! そのS一人でやってたし、逆に「関わってくれるな」という感じだったんでしょうね。今で言う「超英雄祭」みたいなイベントをやっているということを、最初に知ったのが「仮面ライダーディケイド」の頃(放送は2009年)なんですよ。
野村 かなり後じゃないですか!
白倉 「ライダーで音楽のイベントをやりたいんだ」って言われて、頭の中にすごく「?」が飛び交ったんです。どうしたらライダーが音楽イベントになるのか分からなくて。しかも「ちっちゃい子も来るかもしれないし、音楽だけじゃ間が持たないだろうから、ショーをつけたい」と。余計分からない。音楽イベントなんでしょ?と。それで考え抜いて、仮面ライダーのミュージカルにしようということになったんですよね。
野村 あー、東京国際フォーラムの!(2009年6月28日・29日、MASKED RIDER LIVE&SHOW 「十年祭」)
白倉 そのときは、それで形ができたなと安心して。それが「超英雄祭」という名前でずっと続いてると知ったのは、去年のことなんです。
野村 ええーっ!?
白倉 去年、「定年間近の社員の付き添いで来てくれ」と言われまして。「へー、こういうイベントをやるんだ!」って言ったら「毎年恒例だよ?」って(笑)。それまで聞いたこともなかったんですよ。
──ファンの方からしたら、白倉さんほどの立場で知らなかったというのはものすごく意外でしょうね。
野村 いやいや、“内側”にいるはずの僕も今、ものすごく意外ですよ!
白倉 誰も教えてくれないし。今年もやったんですよね?
野村 やりましたよ! 1月23日に日本武道館で!
白倉 いつやってるのかも分からないですから。「仮面ライダージオウ」のキャストで一人、その日はNGという人がいて、何で外からNGって言われなきゃいけないのか分からなくて、スタッフに怒ったんです。「何で勝手にNG入れてるんだ!」と。「前々から決まってるんです」「何だそれ! 誰が決めてるんだ!」というやりとりをしたら、明らかにスタッフが困っていて。「どこに怒ればいいんだ!」って言ったら「超英雄祭って言って、毎年やっていて……」。「毎年やってるの!?」って。「やるんだったら呼んでよ!」と。
野村 今はもう、けっこう形も出来上がってきてる感じですね。
白倉 もうキャラショーはないんですよね?
野村 そうですね。音楽ありきで、曲にライダーなどのキャラクターが絡むという風になってて、お客さんもほとんど大人ですし。ほとんどロックコンサートですよ! ものすごく盛り上がって、逆にやってるほうがビックリするぐらいの熱さです。
一番思い入れのある平成ライダー作品とは?
──野村さんは、平成ライダーの主題歌で一番思い入れが強いのは、やっぱりRIDER CHIPSで演奏された「ELEMENTS」(「仮面ライダー剣」)ですか?
野村 そうですね。「仮面ライダー剣」のときは、早起きして見ましたから! 「ホントに流れてるのか? 騙されてないか?」と思って(笑)。
白倉 流れてなかったら大変ですよ!(笑)
野村 あ、でも「仮面ライダーウィザード」も好きなんです。オシャレな感じがすごく好きで。その時も挿入歌とかやってましたけど、当時も早起きしましたよ。流れてるかどうか確かめるために。
白倉 どうしても信じられないんだ(笑)。
野村 曲も作ってレコーディングもしたけど、「ホントに流れてるのか!?」って。確認しないと分からないじゃないですか! 他の作品にも参加させてもらってるんですけど、「仮面ライダー剣」や「仮面ライダーウィザード」のときは確認してましたね。
──白倉さんは、直接関わられた作品とそうでないものとありますが、特に思い出深い作品というと……
白倉 「仮面ライダー響鬼」!
野村 即答ですね(笑)。
白倉 後にも先にも「仮面ライダー響鬼」ですね。他に比較できるものがない!
野村 それは……苦労したから?(注・「仮面ライダー響鬼」は番組途中から白倉氏がプロデューサーを担当することとなった。)
白倉 ……そうですね(笑)。苦労がハンパなかったですから。苦労というか……他人の企画を引き継ぐことになって、客観視していたものが突然主観になるんだけれども、主観にしてしまってもいけないという。「ここが気に入らないからこう変えちゃえ!」とかはできないわけですよ。だから客観の状態を保ったままで、旗を振らなきゃいけない。そういう仕事のあり方は、後にも先にも「仮面ライダー響鬼」だけで。だから他と比較しようがないんですよ。他は完全に主観か、完全に客観かのどちらかですから。
野村 完走したときはどんな気持ちでした?
白倉 最終回って、いつも特別な感情があるわけですよ。スタッフもキャストも一緒に、1年間走ってきての卒業式じゃないですか。「仮面ライダー響鬼」ほど、“卒業式感”を感じた作品はなかったですね。その作品に与えられた天寿を全うしてもらうようにするというのが僕の役割でしたから、ようやくそこにたどり着いたという感はありましたね。
野村 そうか~……。
白倉 僕がメインで使ってるMacがあるんですけど、何かの節目の時に買い換えてるんですね。「仮面ライダー響鬼」が終了したときに買い換えました。誰も誉めてくれないけど、「ご苦労様、俺」と(笑)。
野村 自分へのご褒美ですね。僕はその前の「仮面ライダー剣」を早起きして見続けてたから、「ああ、変わっちゃった……」って思ってたんですけど(笑)。でも、急に“和”の雰囲気になったので驚きましたね。
白倉 あの頃は、いかに前の作品との振り幅を大きくするかを競ってたようなところもありましたからね。ただ「仮面ライダー響鬼」で振りすぎてしまって、あとはブレーキがかかったところはありましたけど。
野村 でも、どの作品も「どこからそんなアイデアが!?」って驚いてばかりですよ。必ず、最初は「?」から始まるんですよね。
白倉 新ライダーが発表されるたびに、ザワつきますからね。今でも「響鬼はライダーじゃない」とか「エグゼイドはライダーじゃない」とか言われますけど、そういうご意見のほうが正しいような気もしますよね(笑)。
野村 ただ1年間見てると、どのライダーも見慣れてしっくり来るのがまた不思議で。
白倉 エグゼイドも見慣れて、でもちょっとブランクを空けてまた見ると「えっ!?」と(笑)。驚くというか、「こんなものを見慣れた覚えはない!」と思いますからね。
「シリーズ」だからこその悩みも……?
──現在は平成ライダー20作品記念作「仮面ライダージオウ」が放送中ですね。白倉さんも久しぶりにTVシリーズのチーフプロデューサーを務められていますが。
白倉 ジオウは……思い入れもありますし、絶賛手を焼いてもいますね。どうしたものか……。
野村 毎回、手は焼いてるんじゃないですか? やってる最中は頭を使うことばかりでしょうし。
白倉 そうなんですけどね。ジオウは「時の王者」ってことなんですけど、「どうしたら人は王になれるんだろう?」って。
野村 そこですか!(笑) ちなみに、1年間のストーリーって、最初にできてるものなんですよね?
白倉 アバウトに、「こういうことなんじゃないのか」っていうのは最初に持ってはいます。持ってないと、そこに向かえないから。でも、だいたいそうはいかなくなるんですよ。生ものですよね、どうしても。
野村 そういうものなんだ……。
白倉 役者さんの成長度合いとかお客さんの受け入れ度合いとかによっても変わるし。
野村 一番、予定通りにいかなかったライダーってどれなんですか? 「こっちに行こう」と思ってたけど、違うほうに行っちゃったみたいなのは。
白倉 ……どれもそうなような気がするなあ……。
野村 そうなんですか!(笑)
白倉 個人的に、一番ビックリしたのは「仮面ライダー龍騎」ですけどね。身内ではいまだに語り草になってるんですけど、最終回の1話前に主人公が死んじゃうんですよね。そうなるとは思ってなかったから、非常にビックリして。
野村 ビックリって!(笑)
白倉 脚本家をわざわざお座敷に呼んで、「このままだと、最終回前に主人公が死んじゃいます。どうしましょう?」って。「うーん、そう言われればそうですね。じゃあ、そうしますか!」と。
野村 うわー、裏側の話はやっぱりメチャクチャ面白いですね。
白倉 小林靖子さんという脚本家の方なんですけど、この人の場合はだいたい、番組の進行とともに登場人物たちが言うことを聞いてくれなくなってくるんですよ。登場人物が駒じゃないから。「コイツならこうするだろう」っていう肉付けがしっかりしてるので、プロデューサーや脚本家や監督という、外野の言うことは聞いてくれなくなるんですよ。
野村 そうすると、作るほうも面白いですよね?
白倉 面白くはあるんですけど、「困るなあ……」というのもあって。たまに説教したくなりますよ。「オマエ、ヒーローなんだからさあ!」って。
野村 ハハハハ!
白倉 今の「仮面ライダージオウ」も、すごく重要な裏テーマがあって、番組で表現するのかどうかもまだハッキリとは決まってないんですけど。それは、「仮面ライダーはどうしてシリーズになったのか」。裏を返すと、「どうして各シリーズは終わってきたのか」ってことなんですよね。例えば「仮面ライダークウガ」は2000年1月に始まって、2001年1月に終わる。その後も化け物は現れてるのに、何でクウガは来てくれなくなっちゃったのか、ってことなんですよ。
野村 テレビだからですよ。だって、映画のときは来てくれるじゃないですか。
白倉 そうなんですけどね(笑)。
野村 だから映画も楽しめるんですよ。ただ、古いライダーが現代に現れたときに、今も同じ力で戦えるのかという。きっと、いろいろ違いますよね。
白倉 そう。番組が終わった後も仕事をしているのか、してないのか。衰えてるのか、そうじゃないのか。昭和ライダーがうまくやったなと思うのは、藤岡弘、さんがケガして出られなくなって、仮面ライダー2号が登場しましたと。でも藤岡さん演じる本郷猛は南米かどこかで戦っていて、また帰ってきたりするじゃないですか。番組からはいなくなっても、世界のどこかにはいるわけですよ。2号ライダーぐらいまではそれでよかったんだけど、ライダーもこれだけ増えてくると、行く国がなくなっちゃうわけですよ。
野村 そうですね、世界中がライダーだらけになっちゃう(笑)。
白倉 しかもね、「仮面ライダー鎧武」なんかは最終回で別の星に行っちゃって、神様になっちゃうわけですよ。でも一昨年末の「仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL」という映画では、その鎧武がわざわざ神様の装束を脱ぎ捨てて、普通の人間の格好に着替えて戦うんです。他の、庶民のライダーたちと肩を並べて戦うためのエクスキューズが、大変なんですよ!(笑)
野村 ああ……、神の力を使ったら終わっちゃいますからね(笑)。
白倉 「仮面ライダーディケイド」も記念作品だったんですけど、あのときは「ライダーとは何ぞや」ということをカタログ化して見せるというのがミッションだったので、「ライダーごとに全然世界観が違ってて、“混ぜるな危険”なんですよ」ということでよかったんですよ。パラレルワールドなんだということで。でもジオウはそうじゃなくて、全てのライダーの世界をタテに積み上げようとしているんです。2000年にはクウガが、2001年にはアギトがというように、歴史の中に各ライダーがいたんです、という形にしているから、「みんな、何してくれちゃってるの問題」というのが発生するんです。
野村 また元に戻っちゃったわけだ(笑)。でも、そういう風に「世界観が違う」っていうのは平成に限らず、昭和もそうでしたよね。「仮面ライダーアマゾン」が出てきたときは衝撃でしたから。だって、言葉がしゃべれないんだよ!(笑) そんな風に各ライダーの色っていうのは、全部残ってますよね。だから一番最初の、藤岡弘、さんの撮影中の事故がなければ、平成ライダーも生まれてないと思うんですよね。
白倉 そうですね。それで2号ライダーを登場させてシリーズになっていくというのは、まさにケガの功名で。
野村 原作は2号ライダーが誕生したところで終わりですからね。もしかしたらそこで終わってたのかもしれない。2号の途中で、また1号を呼び戻そうと思った当時の番組スタッフの功績ですよね。
白倉 そこから今までつながってるわけですからね。ちなみに、野村さんはジオウは?
野村 追いかけてるところなんですが、なかなか早起きできなくて(笑)。
白倉 少し前からライダーの枠は1時間遅くなって9時開始になってますから、見やすくなってるんですよ(笑)。
野村 そうでした!(笑) じゃあ早く追いついて、これからのクライマックスをリアルタイムで見られるように頑張ります!
『平成仮面ライダー20作品記念ベスト』2019/05/01 リリース
【数量限定 豪華装丁盤】
品番 AVZD-96272~5
形態 4CD+グッズ
価格 ¥20,000(税抜)・¥21,600(税込)
【通常盤】
品番 AVCD-96276~8
形態 3CD
価格 ¥4,500(税抜)・¥4,860(税込)
【NON-STOP MIX盤】
品番 AVCD-96279
形態 CD
価格 ¥1,200(税抜)・¥1,296(税込)
【仮面ライダー avex sound web】https://mv.avex.jp/rider_sound/index.php
【平成仮面ライダー20作記念公式サイト】https://www.kamen-rider-official.com/
©石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映
©石森プロ・東映
このブックレットで、平成ライダーシリーズに欠かせないプロデューサーの白倉伸一郎氏と、「仮面ライダーオフィシャルバンド」RIDER CHIPSを率い、数々の主題歌・挿入歌を演奏する野村義男氏の対談が実現!今回は、スペースの都合上ブックレットには載せきれなかった豪華対談を大公開しちゃいます!
RIDER CHIPS結成とコンサート開始のきっかけとは?
──いきなり私事で恐縮ですが、物心ついたのが「仮面ライダーX」の頃で、そこからずっと仮面ライダー・シリーズを見てきて、「仮面ライダーキバ」からは息子と一緒に見てきた世代なので、この対談にはかなり興奮しているんですが(笑)。
白倉 ありがとうございます。こういうのって、世代論的な話になりますよね。
野村 ライダーはずっとつながっているから、ライダーを通すとそれぞれの世代が浮き彫りになりますよね。僕なんかはバリバリの昭和ライダー世代だけど(笑)。
──そもそもこれまで、お二人の面識というのは?
白倉 ずいぶん前に、少し話したことがある程度ですよね。
野村 相当前なんですよ。僕はRIDER CHIPSでようやく仮面ライダーに絡むというか……“絡まる”ことができたので、そのあたりですね。最初はねえ、厳しい事を言われたんですよ、白倉さんとは別の方ですけど。
白倉 何だろう(笑)。
野村 そもそもフェルナンデスというギターのメーカーが、仮面ライダーのイラストが入ったピックを作ってたんです。今日はちゃんと持ってきましたよ!
──おお~!
野村 僕はその当時、フェルナンデスと契約してたんですけど、何でこんなのを作るのに僕を通さないんだ!と。僕はこの裏に、「少年仮面ライダー隊 野村義男」というネームを入れてほしかったんですよ。その話をしたら、「勝手に作るわけにはいかないから、東映さんに相談しよう」と。そのときに対応してくださったSさんという方にお願いしたら「えっ、野村さん、仮面ライダーとは関係ないですよね?」って!
白倉 その彼は当時、まだ部長にもなってなかったですけどね(笑)。
野村 「じゃあ関係あるようにしてください」って頼んだら、ちょうどライダーの30周年記念で音楽イベントを企画していたので、「仮面ライダーのバンドを作ってくれ」と。僕はピックが作りたいだけだったから、「ハイ!」って返事して、バンドのことはすっかり忘れてたんですよ。そしたら半年後ぐらいに「アレはどうなりました?」って電話がかかってきて。「ヤバい!」ってことで、知り合いのミュージシャンでライダー好きを探してみたら、これが意外にいっぱいいて。その中の2人と結成したのがRIDER CHIPSだったんです。2000年12月に「MASKED RIDER LIVE 2000」というコンサートが今は亡き新宿の厚生年金会館で開催されて、そこがお披露目の場になったんですよね。
白倉 今で言う「超英雄祭」の先駆けですよね。
野村 しかも客席には、自分でチケットを買って入ったm.c.A・Tがいて、(のちに、)「何で俺を呼ばないんだ!」的な事を言われましたね。で、コンサートも終わって僕らのバンドは終了のつもりだったんです。打ち上げも「楽しかったね!」という感じで盛り上がって、その夜はお開きになった……と思ってたんだけど、他のメンバーがさっきのSさんに「ライダーのバンド、まだ続けたいです!」って連絡してたんですよ。しかもバラバラに。それで、ズルズルと今日まで(笑)。
白倉 へえ~! それがまさか今日まで連綿と続くとはね。
野村 今や、毎年毎年楽しみにしてる自分たちがいますからね。今は毎年1月下旬に開催なので、正月過ぎたら「今年もまた!」ってワクワクしてますから。今はスーパー戦隊も一緒だし。逆に、あの時どうして「もう終わり!」って思ってたのか分からないぐらい(笑)。
白倉 そこでやりきったんでしょうね。
野村 感無量ではあったんですよ。子供の頃から大好きだった曲を、公式のお墨付きで演奏できて。でも、「1回じゃイヤだな」って思っちゃったんですね。
ライブイベント誕生も、プロデューサーの頭には「?」マークが……!?
──そのあたりの、結成の経緯には白倉さんは関わっては……
白倉 全然知らなかったです! そのS一人でやってたし、逆に「関わってくれるな」という感じだったんでしょうね。今で言う「超英雄祭」みたいなイベントをやっているということを、最初に知ったのが「仮面ライダーディケイド」の頃(放送は2009年)なんですよ。
野村 かなり後じゃないですか!
白倉 「ライダーで音楽のイベントをやりたいんだ」って言われて、頭の中にすごく「?」が飛び交ったんです。どうしたらライダーが音楽イベントになるのか分からなくて。しかも「ちっちゃい子も来るかもしれないし、音楽だけじゃ間が持たないだろうから、ショーをつけたい」と。余計分からない。音楽イベントなんでしょ?と。それで考え抜いて、仮面ライダーのミュージカルにしようということになったんですよね。
野村 あー、東京国際フォーラムの!(2009年6月28日・29日、MASKED RIDER LIVE&SHOW 「十年祭」)
白倉 そのときは、それで形ができたなと安心して。それが「超英雄祭」という名前でずっと続いてると知ったのは、去年のことなんです。
野村 ええーっ!?
白倉 去年、「定年間近の社員の付き添いで来てくれ」と言われまして。「へー、こういうイベントをやるんだ!」って言ったら「毎年恒例だよ?」って(笑)。それまで聞いたこともなかったんですよ。
──ファンの方からしたら、白倉さんほどの立場で知らなかったというのはものすごく意外でしょうね。
野村 いやいや、“内側”にいるはずの僕も今、ものすごく意外ですよ!
白倉 誰も教えてくれないし。今年もやったんですよね?
野村 やりましたよ! 1月23日に日本武道館で!
白倉 いつやってるのかも分からないですから。「仮面ライダージオウ」のキャストで一人、その日はNGという人がいて、何で外からNGって言われなきゃいけないのか分からなくて、スタッフに怒ったんです。「何で勝手にNG入れてるんだ!」と。「前々から決まってるんです」「何だそれ! 誰が決めてるんだ!」というやりとりをしたら、明らかにスタッフが困っていて。「どこに怒ればいいんだ!」って言ったら「超英雄祭って言って、毎年やっていて……」。「毎年やってるの!?」って。「やるんだったら呼んでよ!」と。
野村 今はもう、けっこう形も出来上がってきてる感じですね。
白倉 もうキャラショーはないんですよね?
野村 そうですね。音楽ありきで、曲にライダーなどのキャラクターが絡むという風になってて、お客さんもほとんど大人ですし。ほとんどロックコンサートですよ! ものすごく盛り上がって、逆にやってるほうがビックリするぐらいの熱さです。
一番思い入れのある平成ライダー作品とは?
──野村さんは、平成ライダーの主題歌で一番思い入れが強いのは、やっぱりRIDER CHIPSで演奏された「ELEMENTS」(「仮面ライダー剣」)ですか?
野村 そうですね。「仮面ライダー剣」のときは、早起きして見ましたから! 「ホントに流れてるのか? 騙されてないか?」と思って(笑)。
白倉 流れてなかったら大変ですよ!(笑)
野村 あ、でも「仮面ライダーウィザード」も好きなんです。オシャレな感じがすごく好きで。その時も挿入歌とかやってましたけど、当時も早起きしましたよ。流れてるかどうか確かめるために。
白倉 どうしても信じられないんだ(笑)。
野村 曲も作ってレコーディングもしたけど、「ホントに流れてるのか!?」って。確認しないと分からないじゃないですか! 他の作品にも参加させてもらってるんですけど、「仮面ライダー剣」や「仮面ライダーウィザード」のときは確認してましたね。
──白倉さんは、直接関わられた作品とそうでないものとありますが、特に思い出深い作品というと……
白倉 「仮面ライダー響鬼」!
野村 即答ですね(笑)。
白倉 後にも先にも「仮面ライダー響鬼」ですね。他に比較できるものがない!
野村 それは……苦労したから?(注・「仮面ライダー響鬼」は番組途中から白倉氏がプロデューサーを担当することとなった。)
白倉 ……そうですね(笑)。苦労がハンパなかったですから。苦労というか……他人の企画を引き継ぐことになって、客観視していたものが突然主観になるんだけれども、主観にしてしまってもいけないという。「ここが気に入らないからこう変えちゃえ!」とかはできないわけですよ。だから客観の状態を保ったままで、旗を振らなきゃいけない。そういう仕事のあり方は、後にも先にも「仮面ライダー響鬼」だけで。だから他と比較しようがないんですよ。他は完全に主観か、完全に客観かのどちらかですから。
野村 完走したときはどんな気持ちでした?
白倉 最終回って、いつも特別な感情があるわけですよ。スタッフもキャストも一緒に、1年間走ってきての卒業式じゃないですか。「仮面ライダー響鬼」ほど、“卒業式感”を感じた作品はなかったですね。その作品に与えられた天寿を全うしてもらうようにするというのが僕の役割でしたから、ようやくそこにたどり着いたという感はありましたね。
野村 そうか~……。
白倉 僕がメインで使ってるMacがあるんですけど、何かの節目の時に買い換えてるんですね。「仮面ライダー響鬼」が終了したときに買い換えました。誰も誉めてくれないけど、「ご苦労様、俺」と(笑)。
野村 自分へのご褒美ですね。僕はその前の「仮面ライダー剣」を早起きして見続けてたから、「ああ、変わっちゃった……」って思ってたんですけど(笑)。でも、急に“和”の雰囲気になったので驚きましたね。
白倉 あの頃は、いかに前の作品との振り幅を大きくするかを競ってたようなところもありましたからね。ただ「仮面ライダー響鬼」で振りすぎてしまって、あとはブレーキがかかったところはありましたけど。
野村 でも、どの作品も「どこからそんなアイデアが!?」って驚いてばかりですよ。必ず、最初は「?」から始まるんですよね。
白倉 新ライダーが発表されるたびに、ザワつきますからね。今でも「響鬼はライダーじゃない」とか「エグゼイドはライダーじゃない」とか言われますけど、そういうご意見のほうが正しいような気もしますよね(笑)。
野村 ただ1年間見てると、どのライダーも見慣れてしっくり来るのがまた不思議で。
白倉 エグゼイドも見慣れて、でもちょっとブランクを空けてまた見ると「えっ!?」と(笑)。驚くというか、「こんなものを見慣れた覚えはない!」と思いますからね。
「シリーズ」だからこその悩みも……?
──現在は平成ライダー20作品記念作「仮面ライダージオウ」が放送中ですね。白倉さんも久しぶりにTVシリーズのチーフプロデューサーを務められていますが。
白倉 ジオウは……思い入れもありますし、絶賛手を焼いてもいますね。どうしたものか……。
野村 毎回、手は焼いてるんじゃないですか? やってる最中は頭を使うことばかりでしょうし。
白倉 そうなんですけどね。ジオウは「時の王者」ってことなんですけど、「どうしたら人は王になれるんだろう?」って。
野村 そこですか!(笑) ちなみに、1年間のストーリーって、最初にできてるものなんですよね?
白倉 アバウトに、「こういうことなんじゃないのか」っていうのは最初に持ってはいます。持ってないと、そこに向かえないから。でも、だいたいそうはいかなくなるんですよ。生ものですよね、どうしても。
野村 そういうものなんだ……。
白倉 役者さんの成長度合いとかお客さんの受け入れ度合いとかによっても変わるし。
野村 一番、予定通りにいかなかったライダーってどれなんですか? 「こっちに行こう」と思ってたけど、違うほうに行っちゃったみたいなのは。
白倉 ……どれもそうなような気がするなあ……。
野村 そうなんですか!(笑)
白倉 個人的に、一番ビックリしたのは「仮面ライダー龍騎」ですけどね。身内ではいまだに語り草になってるんですけど、最終回の1話前に主人公が死んじゃうんですよね。そうなるとは思ってなかったから、非常にビックリして。
野村 ビックリって!(笑)
白倉 脚本家をわざわざお座敷に呼んで、「このままだと、最終回前に主人公が死んじゃいます。どうしましょう?」って。「うーん、そう言われればそうですね。じゃあ、そうしますか!」と。
野村 うわー、裏側の話はやっぱりメチャクチャ面白いですね。
白倉 小林靖子さんという脚本家の方なんですけど、この人の場合はだいたい、番組の進行とともに登場人物たちが言うことを聞いてくれなくなってくるんですよ。登場人物が駒じゃないから。「コイツならこうするだろう」っていう肉付けがしっかりしてるので、プロデューサーや脚本家や監督という、外野の言うことは聞いてくれなくなるんですよ。
野村 そうすると、作るほうも面白いですよね?
白倉 面白くはあるんですけど、「困るなあ……」というのもあって。たまに説教したくなりますよ。「オマエ、ヒーローなんだからさあ!」って。
野村 ハハハハ!
白倉 今の「仮面ライダージオウ」も、すごく重要な裏テーマがあって、番組で表現するのかどうかもまだハッキリとは決まってないんですけど。それは、「仮面ライダーはどうしてシリーズになったのか」。裏を返すと、「どうして各シリーズは終わってきたのか」ってことなんですよね。例えば「仮面ライダークウガ」は2000年1月に始まって、2001年1月に終わる。その後も化け物は現れてるのに、何でクウガは来てくれなくなっちゃったのか、ってことなんですよ。
野村 テレビだからですよ。だって、映画のときは来てくれるじゃないですか。
白倉 そうなんですけどね(笑)。
野村 だから映画も楽しめるんですよ。ただ、古いライダーが現代に現れたときに、今も同じ力で戦えるのかという。きっと、いろいろ違いますよね。
白倉 そう。番組が終わった後も仕事をしているのか、してないのか。衰えてるのか、そうじゃないのか。昭和ライダーがうまくやったなと思うのは、藤岡弘、さんがケガして出られなくなって、仮面ライダー2号が登場しましたと。でも藤岡さん演じる本郷猛は南米かどこかで戦っていて、また帰ってきたりするじゃないですか。番組からはいなくなっても、世界のどこかにはいるわけですよ。2号ライダーぐらいまではそれでよかったんだけど、ライダーもこれだけ増えてくると、行く国がなくなっちゃうわけですよ。
野村 そうですね、世界中がライダーだらけになっちゃう(笑)。
白倉 しかもね、「仮面ライダー鎧武」なんかは最終回で別の星に行っちゃって、神様になっちゃうわけですよ。でも一昨年末の「仮面ライダー平成ジェネレーションズFINAL」という映画では、その鎧武がわざわざ神様の装束を脱ぎ捨てて、普通の人間の格好に着替えて戦うんです。他の、庶民のライダーたちと肩を並べて戦うためのエクスキューズが、大変なんですよ!(笑)
野村 ああ……、神の力を使ったら終わっちゃいますからね(笑)。
白倉 「仮面ライダーディケイド」も記念作品だったんですけど、あのときは「ライダーとは何ぞや」ということをカタログ化して見せるというのがミッションだったので、「ライダーごとに全然世界観が違ってて、“混ぜるな危険”なんですよ」ということでよかったんですよ。パラレルワールドなんだということで。でもジオウはそうじゃなくて、全てのライダーの世界をタテに積み上げようとしているんです。2000年にはクウガが、2001年にはアギトがというように、歴史の中に各ライダーがいたんです、という形にしているから、「みんな、何してくれちゃってるの問題」というのが発生するんです。
野村 また元に戻っちゃったわけだ(笑)。でも、そういう風に「世界観が違う」っていうのは平成に限らず、昭和もそうでしたよね。「仮面ライダーアマゾン」が出てきたときは衝撃でしたから。だって、言葉がしゃべれないんだよ!(笑) そんな風に各ライダーの色っていうのは、全部残ってますよね。だから一番最初の、藤岡弘、さんの撮影中の事故がなければ、平成ライダーも生まれてないと思うんですよね。
白倉 そうですね。それで2号ライダーを登場させてシリーズになっていくというのは、まさにケガの功名で。
野村 原作は2号ライダーが誕生したところで終わりですからね。もしかしたらそこで終わってたのかもしれない。2号の途中で、また1号を呼び戻そうと思った当時の番組スタッフの功績ですよね。
白倉 そこから今までつながってるわけですからね。ちなみに、野村さんはジオウは?
野村 追いかけてるところなんですが、なかなか早起きできなくて(笑)。
白倉 少し前からライダーの枠は1時間遅くなって9時開始になってますから、見やすくなってるんですよ(笑)。
野村 そうでした!(笑) じゃあ早く追いついて、これからのクライマックスをリアルタイムで見られるように頑張ります!
撮影 長谷 英史
『平成仮面ライダー20作品記念ベスト』2019/05/01 リリース
【数量限定 豪華装丁盤】
品番 AVZD-96272~5
形態 4CD+グッズ
価格 ¥20,000(税抜)・¥21,600(税込)
【通常盤】
品番 AVCD-96276~8
形態 3CD
価格 ¥4,500(税抜)・¥4,860(税込)
【NON-STOP MIX盤】
品番 AVCD-96279
形態 CD
価格 ¥1,200(税抜)・¥1,296(税込)
【仮面ライダー avex sound web】https://mv.avex.jp/rider_sound/index.php
【平成仮面ライダー20作記念公式サイト】https://www.kamen-rider-official.com/
©石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映
©石森プロ・東映
- WRITTEN BY高崎計三
- 1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。